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先々週、ちょっとした偶然が重なって、スケジュールにわずかな隙間ができた。2日ほどではあったものの、せっかくの機会なので、大急ぎで台湾を一周してみることにした。普段は目的地を決め、そこを訪れて戻ってくるだけという取材が多いので、流れゆく車窓をのんびりと眺める旅は、それだけで新鮮な印象を受けられる。ささやかな興奮を胸に秘め、台北駅へと向かった。
今回は台北から時計回りに列車を乗り継いでみた。まずは自強号で蘇澳を目指し、花蓮行きに乗り継ぐ。蘇澳(新駅)までは引退間近のイギリス製の車両EMU100型に乗車。この車両は台湾を最初に走った「電車」で、車齢は30年に達する。老朽化も進んでおり、正直なところ、くたびれた箇所が随所に見られる。しかし、その走りっぷりはなんとも力強く、昨今の軽薄短小な車両たちなどは比較にもならない。多くの鉄道ファンがこの車両を追いかけるのも無理はないような気がした。

花蓮からは台東へ向かうディーゼル特急に身をゆだねる。台北から花蓮、そして台東までは台湾鉄路管理局にとってのドル箱路線で、座席の8割が埋まっていた。乗客の中には原住民族の人も多く、耳に入ってくる会話の中には日本語が交じっていた。私は玉里駅でこの列車を降りた。
前置きがやや長くなったが、今回のテーマは「羊羹」である。台湾の東部、特に花蓮県を旅行すると、売店などで羊羹が売られているのを見かけるはず。中でも花蓮県南部の玉里羊羹は、味の良さで知られ、定番のおみやげ品となっている。駅前はもちろんのこと、駅舎内に入っているセブンイレブンでも購入は可能だ。
そもそも羊羹は中国大陸に起源がある。日本には鎌倉時代、禅僧によって伝えられたという。元来、羊羹は羊の羮(あつもの)のことで、煮込んだ羊肉をさますとゼラチン質が凝固する。これを羊羹と称して食していたのである。その後、日本で独自の進化を遂げた羊羹は、17世紀頃には砂糖が加えられるようになり、料理から甘味へと一大変身をなし遂げる。中国では羊羹そのものが絶えてしまったことで、日本の伝統菓子というイメージはいっそう強くなっていった。現在は中国でも甘い羊羹が作られているが、これは日本からの逆輸入ものである。

玉里に羊羹がもたらされたのは1905年のことと言われているが、定説はない。比較的広く知られているのは窪田徳次郎という人物が窪田勝山堂という菓子店を玉里の中心部に開き、日本の味をそのまま持ち込んだことで人気を博したという説。また、日本留学帰りの呉萬子という人物が開いた梅里萬星堂が創始店であるという説もある。とにかく、戦後、その技術は台湾の人々に受け継がれ、地方銘菓として定着していった。
玉里は中央山地を源とする清流のほとりに開けており、北側には卓渓、南側には清水渓、そして東側には秀姑巒渓が流れている。その清らかな水を用いて玉里羊羹は作られる。砂糖が最高級品だった時代、どの程度、羊羹が庶民に親しまれたのかは知るよしもない。しかし、土地の名産として、多くの人に愛されていたことは確かであろう。日本統治時代に発行されていた旅行ガイドにも、玉里駅で購入できる名物として、羊羹の名が記されている。
戦後、日本人は引き揚げ、羊羹製造も一時は途絶えていたという。しかし、製造機器はそのまま残されていたため、製法は変わることがなかった。ただ、風味については台湾独自の工夫がなされている。蜂蜜味やジャスミンティー味、コーヒー味、リンゴ味、パイナップル味など、日本では考えられないものが目白押しだ。食してみると、ほのかな甘さの中に、それぞれの風味が上品に際だっている感じ。甘いものが苦手という方には、日本の羊羹よりも、むしろおすすめできるかもしれない。一本30元という格安名物である。
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