第5回    大同磁器股份有限公司 董事長兼総経理  江澄鐀(コウ・チョウキ)氏

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Profile

1933年、花蓮生まれ。幼少より台北で育つ。1956年、国立台湾大学工学部機械科卒業。予備士官として1年半の兵役を経て、1958年に台灣日光燈股份有限公司に入社。1962年、親戚と共に大同磁器股份有限公司を創業し、工場長として製造部門を管轄。1997年、同社董事長に就任。

大同磁器股份有限公司
www.tatungchinaware.com.tw

取材・文:馬場克樹/写真:彭世杰

業務用磁器のシェア7割

今も会長自ら工場に立ち続ける

台湾の中華系の料理店で好まれるアイボリー色の磁器の皿や碗。それらの底にはかなりの確率で「大同TATUNG」の文字が刻まれていることに気付くだろう。中華系の業務用では7割のシェアを誇り、新竹県新埔鎮に本社を構える台湾の老舗磁器メーカー大同磁器股份有限公司。1960年の創立当初から先代と共に経営を率いてきた江澄鐀(こコウ・チョウキ)董事長兼総経理(会長兼社長)から、企業の沿革や日本との関わり、自社ブランドの魅力などについて伺った。


日本の技術協力を得て発展

江澄鐀董事長は今年84歳の台湾の日本語世代。会社の設立に至る経緯も日本と深く関わっている。江董事長は台湾大学では機械工学を修め、兵役を終えてからは東芝と技術提携のあった台灣日光燈に就職していた。が、姻戚関係にあった先代の廖長庚(リョウ・チョウコウ)董事長から誘われ、大同磁器の創立に関わることとなる。

「先代董事長は愛知県多治見市の問屋を通じて、瀬戸・多治見・瑞浪で作られた陶磁器の輸入業で財を成した方なのですが、これだけ売れるなら台湾で自分たちの会社を立ち上げて陶磁器を作ってしまおうという話になったのです」

陶磁器の製造はまったく未知の領域だったため、先代董事長とつながりのあった日本の会社に窯の製造を依頼し、また別の磁器メーカーに製造の技術指導を仰いだ。当初は試行錯誤の繰り返しだったが、品質が安定するようになると、家庭用磁器メーカーとしての地歩を固めていった。1978年からは、それまでのトンネル窯からローラー窯へと製造ラインを一新した。トンネル窯では製品を焼き上げるのに24時間かかったのに対し、ローラー窯は3時間で焼き上がる。大きな技術革新だった。製品の歩留まりも向上し、作業の効率化も図れた。台湾が「アジアの四小龍(アジアNIES)」と呼ばれた経済成長の波にも乗った。が、中国の天安門事件の後に大きな転換点が訪れたと江董事長は振り返る。

中国製磁器の輸入で方向転換

「鄧小平が『社会主義市場経済』へと大きく舵(かじ)を切り、安価な中国製磁器が台湾にも大量に流れ込んできました。家庭用磁器の価格競争では太刀打ちができず、経営規模を縮小して商品の主力を業務用に切り替えざるを得ませんでした」

かつては台湾に5社あった従業員300名以上の磁器メーカーも、倒産や廃業、海外移転などで、結局大同磁器1社のみとなった。最盛期には1,400名いた同社の従業員も現在の170人まで減った。それでも土俵際で踏みとどまることができたのは、自社製品の最大の長所である強度、欠けにくい磁器というブランド力であった。その強度を演出する原料の酸化アルミニウムは一貫して日本軽金属製の輸入品を使用してきた。冒頭でも述べた通り、台湾の中華系料理店の7割が大同ブランドを愛用し続けているという事実は、そのまま製品に対する評価となり、最大の危機を救った。また、業務用の製品であれば、競争力のある価格帯での勝負もできる。2000年から商品価格を16年間据え置いたことも好意的に受け止められた。江董事長に商品の販売戦略について尋ねてみると、苦笑しながらこう答えてくれた。

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品質とデザインで勝負

「わが社は営業力がまったくない会社なのです。海外への輸出も毎年ニューヨーク向けに4コンテナを出しているのみで、台湾国内のお客さまからのご注文にお応えしているだけというのが現状です」

現在は販売代理店が台北に3店舗、高雄、台南、台中にそれぞれ1店舗、計6店舗がある。大同磁器はあくまでも台湾という土地に根ざした企業を指向している。その一方、造形系のデザイナーを採用し、オンライン販売システムも目下構築中とのことであり、今後は新たな販路の開拓も期待されるところだ。最後に座右の銘について伺った。

「己所不欲,勿施於人(自分が欲しないことを他人に施してはならない)」

幾重もの波涛を乗り越えて来た白髪の紳士は、穏やかな表情でこう結んだ。今でも出勤時間のほとんどを自社の工場の現場で過ごし、動き回るのが健康の秘訣という江董事長。その社員を見つめる眼差しはどこまでも温かい。

(2017年9月号掲載)

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