第7回 NITORI 宜得利家居股份有限公司  董事長兼総経理  杉浦栄(すぎうら・えい)氏

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Profile

1996年、株式会社ニトリに入社。札幌物流センターのQC(品質管理)、店舗運営部を経て、人事部のリクルーターを担当。98年、高崎店、長岡店、旭川春光店などの店舗にて店長、副店長を務める。2004年より、商品部でソファや学習机などを中心とした家具の商品企画・制作に携わる。14年、関東・近畿で再び店舗業務に従事後、17年、ニトリ台湾の董事長兼総経理に就任。

宜得利家居股份有限公司
www.nitori.com.tw

取材・文:林 綾子/写真:彭世杰

ニトリのロマン—
住まいの豊かさを台湾の人々に、世界の人々に

思わず口ずさんでしまう「お、ねだん以上。ニトリ」のキャッチコピーと共に、陽岱鋼選手やちびまる子ちゃんが登場するコマーシャルは、台湾で暮らす人なら幾度となく目にしているのではないだろうか。2007年、海外第一号店として台湾高雄夢時代店をオープンしてからちょうど10年。着々と店舗数を増やし、台湾で暮らす人たちの生活の中に浸透してきている「NITORI 宜得利家居股份有限公司(ニトリ台湾)」で、これまでの歩みやこれからの展望について、董事長(会長)兼総経理(社長)である杉浦栄(すぎうら・えい)氏から話を伺った。


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現在、ニトリ台湾で董事長兼総経理を務める杉浦栄氏は、2017年6月に台湾へ赴任したばかりだ。大学で経済を学んだ後、故郷の北海道を代表する企業であるニトリに入社。時は、雑誌でインテリア特集が組まれ、インテリアに関する専門誌が増え始めてきたころ。これから先を見据えた時に、ホームファニシングを扱うニトリに魅力を感じた。何より強く惹かれたのは、企業理念である「住まいの豊かさを世界の人々に提供する」という社の「ロマン(志)」。売り上げ増を一番に訴える企業が多い中、ニトリは違った。「人々の暮らしを豊かにしよう」、「人々が手に届きやすい価格帯でそれを実現しよう」、そんな姿勢にグッときた。加えて、当時接したリクルーターが会社の未来を熱く語る姿は、入社まだ1~2年目の若手社員のはずにもかかわらず、とても大きく見えた。ここに入社すれば数年後には自分も同じように熱く夢を語っているのだろうか。未来の自分が容易に想像できた。「自分もここでやっていきたい」、それが入社を決めた理由だった。

入社後すぐに物流部に配属される。半年間の品質管理の後、店舗運営部で店舗スタッフとして1年間勤務。その後は人事部の新卒採用担当として半年、それから店長などを経て商品部に籍を置く――これは杉浦氏の台湾赴任までの足跡のほんの一部だ。

短いサイクルで各所を飛び回る。それこそニトリの「配転教育」だと言う。一般に企業では、配属されたその部署で経験を積み上げていくことが多いのではないだろうか。その道に精通すること、即ちそれが成功の近道ゆえかもしれない。だがニトリでは入社してから退職するまでの数十年間に平均20回ほどの配置転換が行われる。これにより広い視野と柔軟な思考が養われ、異なる角度から物事を見ることができる。総合的なプロフェッショナルの育成を目指しているのだ。

けれど短期間に異動するのでは、会社にとっても、社員にとってもさぞかし負担が大きいのではないだろうか。社としてはもちろんコスト高になる。だが長い目で見れば、社員に投資することこそリターンも大きい。また社員としても異動した初めこそ他社に転職したようなつらさを感じるが、2~3カ月もすれば慣れ、以前の部署での経験を生かしたプラスαの働きができるようになると言う。

家族を通して改めて体感したニトリのロマン

上記のように、さまざまな部署で経験を積んできた杉浦氏に、最も印象に残っているエピソードを聞いてみた。すると商品部で学習机の開発に携わっていたころの話を聞かせてくれた。折しも娘の小学校入学時期、自分が関わっていたその商品を買い与え、喜ぶ娘の顔を実際に目の当たりにしたことは、改めて「人々の暮らしを豊かにする」という社の理念を、身を持って感じた瞬間だった。さらに日本の市場シェアナンバー1である学習机を使う日本中の新1年生、それを今後6年、9年、12年……と使い続ける子どもたちの様子を思い浮かべた時、自分が入社以来貫いてきたことと、社の志を身近に実感できた。加えて学習机を通して、自分の仕事を家族に示すことができたのも感慨深い出来事だったと言う。

 

製造、物流、小売……「全てを自社で」がニトリ流

ところで、ニトリは製造物流小売業の形態を持つ。海外で原材料を仕入れ、海外で生産、出来上がった商品を輸入し、販売、配送と全て自社で一貫して行う。さらに新規開拓店舗の用地調査さえも自社スタッフが担当している。こうすることで中間マージンを省き、低価格が実現できるという訳だ。それだけでなく、人脈の構築や社員の能力アップといった投資にもつながる。実際手間はかかるが、長い目で見ればコストダウンだと確信した上で、台湾でもこの形態を貫いている。通常日本企業が台湾で販売を行う場合、日本と比べるとどうしても割高になってしまうが、多くの商品で日本と変わらぬ低価格帯を打ち出すことができるのは、一貫体制のニトリだからこその強みだろう。

そのシステムの基となる海外商品の直輸入を始めたのは1985年。取引先は台湾だった。当時、輸入といえば商社かメーカーが当たり前で、小売業者が行う事例はなかった。当然ゼロからのスタート。何もわからない中、力を貸してくれたのは台湾の取引先だった。今日のニトリの形態の礎を作ったのは台湾だと言っても過言ではない。

そのことに深い恩義を感じていたのが似鳥社長(現会長)だ。「海外に出店するのならば第1号店は台湾へ」、という強い想いが常にあった。その夢を見事実現させたのが2007年。高雄の夢時代ショッピングモールに初出店を果たした。その後、台南・桃園・新北・台中……続々と店舗数を拡大。2010年に台北市1号店として台北敦化店をオープンした。

これまで決して楽な道のりだった訳ではない。初期は当然海外展開のノウハウもないため、店頭に並べる商品も、店舗形態も、日本と同様のスタイルで推し進めてきた。ベッドを始めとした家具類は、日本では小さいサイズが好まれるが、台湾はその逆だ。例えばベッドなら、大きなダブルを使用する人が多い。そんな知識さえもなかった。また夢時代店の次に出店したのは路面店。日本同様の郊外型を立て続けにオープンするも、周りに何もない店舗にわざわざ足を運んでもらうには、まだまだ知名度が足りなかったと分析する。経営陣はその後すぐに方向転換を図った。台湾人のライフスタイルに寄り添う形で展開。そして1号店オープンから10年たった現在、北部・中部・南部、そして東部と台湾各地に26の店舗を運営している。

ビジョンは5年後に50店、15年後に100

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日本で暮らしたことのある人、日本に旅行で訪れたことのある人、そうでなくとも日本のテレビや漫画など日本文化を愛する台湾人は多い。そんな彼らが好む商品は、日本の売れ筋とそう大差はない。人気は電動式のリクライニングソファ。足下がボタン一つで水平に上がるアレだ。他社製品をも研究し尽くした開発担当者から見ても「安い!」と言い切る商品の素材の質や仕様は、他社と変わらない。ニトリ式の調達方法と物流方式で安さを実現したイチオシの商品だ。そして機能性素材を使用した冷たい寝具、Nクールシリーズも安定した動きがある。

さらに台湾ではあまり見かけることがないこたつも好評だとか。発売開始からじわじわ人気に火が付いてきた。そういえば他店であまり見かけず、ニトリにならあるという商品の一つがランドセルだが、筆者の近所にある台湾のローカル小学校では、近頃それがはやっているようだ。ランドセルで通学する児童の数は次第に増えているように思うし、ニトリの物と思われるランドセルを背負っている姿も見かける。こたつもランドセルも今まで台湾にはなかった物だ。それがこうして台湾人の暮らしの中に取り入れられているという事実は、まさに「暮らしを豊かにする」というニトリのロマンが台湾人の生活にも浸透してきた表れであろう。

最後に今後のビジョンを杉浦氏に尋ねてみると、「台湾の人々にもインテリアといえばニトリ、と一番に思ってもらえるようにニトリのロマンを伝えていきたい」と語ってくれた。具体的には5年後に50、15年後には100まで店舗数を増やしていくこと。さらにインテリアコーディネートの提案ができる心地よい空間に店舗をリニューアルしていくこと。その試みはすでに始まっており、台北明曜店は什器を低めにした見通しのよいレイアウトで、最新商品を取りそろえると共に、コーディネートがイメージしやすいよう部屋の一画を模した見せ方をしている。

こうしてニトリは単なる商品の販売だけではなく、楽しくショッピングのできる空間を、ひいては暮らしを豊かにする提案を実践しているのだ。台湾に、そして世界に、今後もニトリのロマンはどんどんと拡大していくだろう。

(2018年1月号掲載)

 

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