幾米 ジミー・リャオ

唯一無二の絵本作家 惹き込まれる、その作品世界

 

大人が読む絵本を作りたい    

―元々デザイナーでいらしたのですよね。大病を患われてから絵本を描き始めたとお聞きました。

「以前は広告代理店で、デザインなどのアートディレクターを務めていました。12年ほど勤務したころ、当時の仕事だけでは満足できなくなり自分の作品がほしくなったので、会社を辞めフリーランスになったのですが、翌年に病に倒れました。当時は新聞に挿絵を描いていましたが、闘病のために収入がなくなるどころか、いつまで生きられるかわからないという状況に陥ってしまったのです。ですから、これまでの作品をまとめて本を出さないかとある人から言われた時、すぐに承諾しました。でもそのうち、過去の作品で作った本ではもう満足できないようになり、語りたい物語のアイデアもどんどん出てきたので、腰を据えて創作活動を始めました。それまではイラストを描くだけで絵本の経験はありませんでしたが、大人に見せる絵本を描きたいという明確な意思がありました。なぜなら大人の絵本というジャンルは台湾にはもちろん、おそらく海外でもないでしょうから。それに児童向けの絵本は大きくてページ数も少ないし、大抵書店の片隅に置かれているので、大人はわざわざそこまで行きませんよね。それではきっとそんなに売れないと思ったので(笑)、自分の本を一般の書棚に置いてもらえるよう判型を小さくし、一般的な絵本が32ページのところ100ページにしました。絵本では前例がありません。でも当時はもうすぐ死ぬかもしれないという時でしたから、他のことは何も構わなかったのです。その後、思いがけず賞をいただき、多くの方に私の作品を好きになってもらえました。最初の2冊(『森林裡的秘密』『微笑的魚』)は児童書寄りですが、3冊目の『向左走‧向右走』(君のいる場所)は純粋に大人に向けた絵本です。そこから創作活動の道が始まりました」

―台北ご出身だそうですが、パブリックアートなども展開している宜蘭とはどのようなご縁があるのですか。

「私は宜蘭(台湾北東部)で生まれ台北で育ちました。3、4歳のころ、宜蘭の田舎の祖母の家で過ごした時期もあります。たぶん両親は、祖母が私をとてもかわいがっていたので孫と一緒にいさせてあげようと考えたのでしょう。自分の意思とは関係なく兄弟姉妹と離されて着いた場所は、祖母が住む大きな三合院。ヘビやカモ、サソリがいるばかりか、ネコがネズミの首をかみちぎったり、宮崎駿の作品に出てくるような豚がいたりで、とてもなじめませんでした。動物も、暗くなっていく夕暮れも怖くて、ただひたすら両親はいつ迎えに来てくれるのかと待ち焦がれていました。両親は短期間だったと言いますが、私の印象ではとても長い幼少期でしたね。以前は考えたこともなかったのですが、絵本を描くようになってから、その時体験した悲しみや恐れが意識上に浮上してきたことに気づきました。ですから私の作品には、そうした感情の一端が表れていると思います。明らかに幸福な家庭で育ったのに、なぜこんなに悲しい話ばかり描くのか? それは無理やり家族と離された、捨てられたという幼いころの記憶を埋め合わせているのだと思います」

 

伝えたい物語を絵本に   

―日本で『星空』(原題:同名)の翻訳版が発売されましたね。

「先ほど日本の編集者から日本版を受け取りました。日本の書店では1月に発売されていますが、奥付の発行日は2月14日のバレンタインデー、愛の日なんですね」

―日本で翻訳されたご著書もちょうど14冊目ですね。

「そうでしたか? 自分では気づきませんでした。ヨーロッパでは翻訳本が出版され続けていますが、日本では十数年前に小学館から出版されて以来、最近までしばらくなかったんです。2年前に『忘記親一下』(幸せのきっぷ)、今年は『星空』と、この2年間でまた日本で自著を出版できることになり、うれしいです。本書のおかげで来月(2月取材当時)日本にも遊びに行けるんですよ(笑)」

―日本にもジミーさんのファンが大勢いるので、皆さん心待ちにしていると思います。

「プライベートでは銀座の街をぶらぶらしたりショッピングを楽しんだりしたことはありますが、これまで著書のために日本に行ったり読者に会ったりしたことはなかったんです。初めての公式訪日は2015年、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」というアートイベントでした。たくさんの読者が私の本を持ってサインを求めてきたので、『なぜ日本に私の読者がこんなにいるんだ?』と驚きました」

―ジミーさんの作品といえば、精緻なイラストと心を打つストーリーが印象的ですが、創作の際はどちらが先に思い浮かぶのですか。

「いつもは絵柄が先に思い浮かびます。その映像に何かを感じたり、背景にある物語を感じ取れたりした時は、ゆっくりとその映像から別の映像につないでいきます。そして大きな映像になった後、その先の物語が続けられるかどうか見るんです。正直(取材のたびに)毎回違うことを言っている気もしますが(笑)、ただ確実に言えるのは、絵本を描く時、それは伝えたい物語があるからです」

―では『星空』を描くことになったきっかけは何ですか。

「一つのニュースがきっかけとなって、その後、他の要素と組み合わせていきました。以前、二人の子どもがバイクに乗って家出をしたというニュースを見たのです。数日後、彼らは見つかりますが、双方の親はお互いを訴えました。親がののしり合う報道に気持ちを引きずられたくなかったので、子どもたちは不愉快な家庭を逃れ、休暇を過ごしに行ったんだと考えました。その夜、バイクで走った道は、子どもたちの目には素晴らしい冒険のように映ったかもしれないし、人生の中で最も美しい階段を登っていたかもしれません。おそらく一生懐かしむような体験になるでしょう。当時、思春期を迎えた12、3歳の私の娘も、もう自分たちの世界を持っていて私には属していないように見えました。これがあの小さかった娘だろうか、と戸惑うほどに。ですから私はこの年齢の子どもたちのために物語を描こうと思ったのです」

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―絵と物語、それぞれどのくらい時間をかけられたのですか。

「絵を描くのが全体の95パーセントです。絵を描いている最中に物語のことも考えていますが、文字はパソコンに入力すればすぐできますからね。でも絵は全て手書きだし、直すこともあるので非常に時間がかかります。『星空』は長年筆が進まなくて、その間別の作品に取り組んでいました。それがある時、散らかったデスクの下から以前描いた下絵が出てきたのです。その時『今年は必ず君を仕上げるよ』とふいに決意し、出来上がった不思議な作品です。ですから、よく見ると各ページの画法に違いがあります。一気に仕上げた作品ではないので、初期に描いたもの、後に描いたものが混在しているのです。着想から完成まで5、6年かかりました。何枚か描いてうまくいかなければ放って、というのが私のスタイルです。2、3カ月やって駄目だとわかればすぐに諦めて他の本にかかります。担当編集者が常に催促するので(笑)、あるものはとてもスムーズに完成します。一番時間がかかったのは『忽遠忽近』(2016)。『向左走‧向右走』(1999)が完成した後にこの物語を思いついたのですが、完成まで20年近くかかりました。ですから『忽遠忽近』の1ページ目には――『向左走‧向右走』に捧げる――と記しました」

―『星空』の最初のページには「この世界とコミュニケーションできない子どもたちへ捧げる」とありますね。

「十代の少年少女たちは、時にコミュニケーションが取りづらくなることがあります。でも彼女たちはたぶん、大人のほうこそ理解できないと思っているのでしょう。コミュニケーションできないか、あるいはそれ自体を望んでいないかもしれません。ですから私はこの物語を彼らに捧げたいのです。台湾や香港、日本でも青少年の自殺は増えています。自分はまったく理解されていないと感じているからではないでしょうか。でも両親とのいざこざや同級生からのいじめで傷ついた時、直面した困難を乗り越えられないと感じた時、一歩引いて顔を挙げ、空を見ればきっと、世界はなんて大きいんだと気づくことができます。星空はこんなにもキラキラしてとてもきれいです。もちろん傷は痛むけれど、その段階を耐えきることができれば、大きいと思っていた問題が些細なことに変わります。引き返せない道には行ってはいけません……ああ、話しているだけで泣けてきます(笑)。とにかく当時はそんなことを考えながら描きました。その後、ちょっと面白いことがありました。『星空』が完成した数年後、台東に講演に行った時のことです。ホテルの最上階に泊まった夜、窓を開けたら星空が見えました。その瞬間、人生で初めて満天の星を見たのは台東だったと唐突に思い出しました。高校2年生の時、台東の運動場に横たわって見た星空が震えるほどに美しかったことを。私は台北で育ったので輝く星空を見たことがなかったのです。翌日の講演でこのことを話した時、思わず涙がこぼれていました。十代のころは誰もが神秘的な時間を持っているものです。星空を見たり、あるいはどこかの道を進んだりする中で、大人に変わっていくのでしょう」

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絵に取り入れた遊び心  

―『星空』に描かれたゴッホの「星月夜」には、どのような意図が込められいるのでしょうか。

「その話は非常に複雑です。創作の時間が長すぎて、その間にいろいろなことがあったので、創作過程のどこかでゴッホの絵が自然に入り込んできたのでしょう。例えば今日道で誰かに会って話をする、あるいは台北アリーナのスクリーンを見て何かを感じれば、それを作品に取り入れ融合させる方法を考えます。ゴッホもそんなケースです。ゴッホを崇拝していた時代を経て、後にオルセー美術館で本物のゴッホの絵を見た時は、感動しすぎて涙を流したものです。主人公の少女は祖父のお葬式に出席していないですよね。絵本には描かれていませんが、彼女と祖父との間には暗黙の約束があったはずです。それは彼女が成長した後、祖父を連れて『星月夜』の実物を見に行くこと。祖父はすでにいないので、その後彼女は一人で絵を見に行きますが、それが祖父に別れを告げる自分なりの方法だったんです」

―ではゴッホ以外に取り入れたマグリットの絵画なども同様の理由ですか。

「そうです。画集を見るのが好きなので、『この壁には絵が必要だな、じゃあこの絵を自分の作品に描こう』という感じで取り入れるんです。もちろん特別な意味がある時もありますが、ストーリーそのものにはあまり関係ありません。どんな画家であれ、自分の作品の中に取り入れるのが好きなので、多くの絵画を作品に仕込んでいますよ。例えばシャガールは『忽遠忽近』や『地下鉄』の作品にも描いています。作家のちょっとした遊び心ですね」

 

―あまり物語と関連のない部分に動物の絵がよく描かれていますが、何かの比喩なのでしょうか。 

「全ての創作には遊びの要素があり、自分にとってそれは絵の部分です。そうでなければ気持ちが鬱々(うつうつ)としてしまうんですよ。多くの人が、なぜ作品の中によくウサギが出てくるのかと聞きます。実は処女作の『森林裡的秘密』(森のなかの秘密)にウサギが出てきたので、それからは全ての作品のどこかに登場させることにしました(笑)。『星空』にもいますよ。繰り返し登場させますが、物語の進行には影響しません。ただ描く時はもちろん動物の造形や性格は考慮します。例えばウサギがいるこのページに犬を描いたら変です。犬は人と密接で忠実なので、その場面の情緒はあまり曖昧になり得ませんから。一方で面白味やファンタジー的な要素もあります。絵本はそもそも自由奔放でいいはずですから、動物を大きくしたり小さくしたりするのも魔法の一種です。実際の大小の比率と違うものを見た時の感覚は普通とは違うでしょう? その感覚が別の世界にいざなってくれるのに役立つかもしれません」

 

―対称的な構図も印象的です。

「私は規律、秩序を重んじる作家です。作品に制約を設けるのが好きで、その範囲の中で創造します。『向左走‧向右走』や『忽遠忽近』は、左右の間で起こる物語で、ある種のリズム、メロディーといった音楽性があります。『向左走‧向右走』がなぜロングセラーになれたのか、それは左右をモチーフにした物語が二度と出ない、超えることができない域までこだわれたからではないでしょうか。『星空』は私の作品の中では少し特別で、そのような対称性、重複性はありません。その点で成熟度がとても高いといえると思います。(他にもたくさんの作品があるのに)日本で出版されたと思ったら、こんなに成熟度が高い作品がぱっと出るなんて少し悔しい気もしますね(笑)」

垣間見える担当編集者との絆

―『星空』は映画化もされましたね。ジミーさん自ら林書宇(トム・リン)監督にオファーされたとお聞きました。

「映画化した前作の2本『ターンレフト・ターンライト』『地下鉄』はどちらも香港の監督が撮りました。香港、中国だけでなく日本にも私の作品を映画にしたいと言ってくれる人がいたのに、なぜか台湾人はいなかったんです。当時『星空』を書き終えた時、映画にとても向いていると思いました。そこですぐにマネージメント会社に、台湾の誰か若い監督で映画を撮ろうと提案したのです。実は担当編集者が林書宇監督の大ファンで、最初の長編映画『九降風』(九月に降る風)は映画館だけで3回も見に行っているんですよ。それに映画評もたくさん書いたものだから監督も彼のことを知っていて、それで私も含めて会うことになったのです。実際、『九降風』は非常に個性があり撮影も素晴らしかったですから、『星空』を携えて監督に会いに行きました。監督が喜んで引き受けてくれたので映画化できました。実は最近、監督から最新作の『忽遠忽近』を気に入ったと連絡をもらったんですよ」

―映画化や舞台化、関連グッズを含めて、作品の世界観を損ねることなくいい形で展開されていますが、著作が別の形態になる際、どの程度関与されるのですか。

「一切関与しません(笑)。まず時間がありません。私は全ての時間を自分の作品に使います。それから、それらはもう別の創作物だからです。全てのジャンルに専門家がいますから、彼らだって私の意見はあまり聞かないでしょう(笑)。もし映画だったら撮影現場に行くことはあるかもしれませんが、それは誰が主役か、どのように撮影するのかといった純粋な好奇心です。撮影の過程に干渉するつもりはないので、たとえ脚本を見せてくれたとしても、一般の読者の気持ちで読みます」

―普段は何をしてリラックスされますか。

「フェイスブックで他の人が何を食べた、どこへ行ったという投稿を見たり、自分でもたまには映画を見に行ったり旅行に行ったり、娘とおしゃべりしたりしています。基本的には仕事人間なので、他の人たちと同様に毎日規則正しく仕事に励んでいます。以前はもっと長かったのですが、年を取って体力がなくなり、今は一日5時間ぐらい。後は担当編集者へのミッドナイトコールですね(笑)」


Profile
1958年、宜蘭生まれ。広告代理店勤務を経て98年に創作活動を開始。同年『森林裡的秘密』(森のなかの秘密/PHP研究所)で絵本作家としてデビュー。台湾でベストセラーとなった『向左走‧向右走』(君のいる場所/小学館)、『地下鐵』(地下鉄)が映画化、ミュージカル化されるなどアジアでも広く人気を博す。これまでに日本をはじめ、アメリカ、フランス、ドイツ、スペイン、ギリシャ、韓国などで50作品以上の翻訳版が出版されるなど、海外での評価も高い。最新作は『忽遠忽近』(原題/2016)、17年に『星空』(トゥーヴァージンズ)の日本翻訳本が刊行された。

コーディネート:黄碧君/写真提供:大塊文化/取材・構成:二瓶里美(編集部)


(2017年6月号掲載)

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