第28回 呼び名の話

あるレストランで食事をしていたときのことです。

となりの席でいきなり大きな声が上がりました。何かと思ってそちらのほうを見ると、お客は女性のふたり連れ。年は40代後半から、もしかしたら50に手が届いてるかもといった感じ。で、その横には困惑顔のウエイトレス。

「失礼にもほどがあるわ!」

お客のひとりはいかにも怒りが収まらない様子で、ウエイトレスに容赦ない怒声を浴びせています。

こうなると、一体何やったんだと好奇心が一気に頭を擡(もた)げてきます。食べるのを一旦やめて、観察を続けることしばし。すると事の成り行きがだんだんわかってきました。

原因はウエイトレスの使った呼び名でした。

彼女はお客の女性のことを「阿姨(アーイー)」と呼んだのです。

「阿姨」というのは中国語だと「おばさん」という意味になりますが、日本語の「おばさん」とはちょっとだけニュアンスが違っていて、そこには上の世代に対する尊敬の念のようなものが込められています。

このケース、ウエイトレスは見たところ20歳前後で、お客の女性はどう見ても自分の母親と同世代。となると、「阿姨」は甚(いた)く自然な呼び名です。だから、彼女からしてみたら、そう呼んで怒られる理由がわからない。

ところがお客の女性は「阿姨」を日本語の「おばさん」のように「老けた女」と捉えたようで、事がややこしくなってしまったのです(最近そちらの意味に捉える台湾人も少なくないので)。

そして、お客のうちのもうひとりの女性はというと、ウエイトレスのほうを気の毒に思ったのか、「まあ、まあ、そんな怒るほどのことでもないでしょ」と友達をなだめるのに一生懸命でした。

 

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イラスト 高橋きのこ

 

さて、ぼくも「おじさん」と呼ばれるようになって久しいからか、呼び名については結構寛容というか、「まあ、何でもいいや」ってな感じで、「何なら、じいちゃん」でもいいよなんて思っていました。

ところが、ついこの間、タクシーに乗ったときのことです。

どう見ても70はいってるなって感じの運転手と何故か意気投合して世間話がはじまりました。

「最近、ちょっとひざが痛くてね」

ぼくは昔に怪我をしたときの古傷が痛むというつもりでいったのですが、その運転手のおじいちゃん、これに対して何気にこういったのです。

「われわれの年になると、体もあちこちボロボロさ」

ぼくは一瞬唖然としました。

えっ、彼のいう「われわれ」って……。

「じいさん」と呼ばれても大丈夫なんて思っていたぼくですが、この「われわれ」には後ろから思いっ切り頭を殴られたような衝撃を受けました。

ぼくと運転手のおじいちゃんが同じカテゴリーだなんて……。

そう思うと、もう次の言葉が出て来ません。

まあ、運転手のおじいちゃんがいった「われわれ」というのは、もしかしたら「おじいちゃんの友達のわれわれ」という意味にとれないこともないと自分に言い聞かせてはみるのですが、それでも気持ちは何となくすっきりしない……。

そんな話をうちの女房にすると、彼女は笑いながらいいました。

「わたしだってね、台湾に来たばかりのころは妹妹(メイメイ)(お譲ちゃん)、そのうち同学(トンシュエ)(学生さん)になって、次が小姐(シアオジエ)(おねえさん)。それから太太(タイタイ)(奥さん)。で、最近じゃ老闆娘(ラオバンニアン)(おかみさん)になったのよ」

それにしても、まるで出世魚も顔負けの出世ぶり。しかも最後にはお店まで持つとは……。

過ぎ去った時間の長さ。ひしひしと感じました。

(2016年5月号掲載)

 

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