第30回 書き込む

ぼくがいま住んでいる家は図書館の近く。徒歩で2、3分。

こんなに恵まれた環境はなかなかありません。というのも、この図書館には台湾の本だけじゃなくて、日本の本もたくさんあるからです。ぼくが借りるのはもっぱら小説なんですが、日本で最近話題になったのとか、大きな賞を受賞したのとか、こういうのが結構そろっています。

どうして台湾の図書館で日本の本の品ぞろえがこんなにも充実してるのか、それはさておき、実は先日こんなことがありました。

借りてきた本を読んでると、数カ所に書き込みがあったのです。

で、何が書いてあるのか見てみると、翻訳でした。

文章の中、数カ所に線が引っ張ってあって、その横にはボールペンの手書きで、文の中国語訳が書いてあるのです。

おそらくこういうことじゃないかと思います。

日本語を勉強している台湾人の学生が、わからない文の意味を調べた。で、普段から教科書に重要ポイントを書きくわえる癖がついつい出てしまったんじゃないかと。

まあ、真偽のほどはわかりませんが、とにかくどうであれ、図書館の本に文字を書き込むという行為。  ぼくには何となく土足で家の中に上がるのと同じような感じがして、どうにも馴染めないというか、しっくりきませんでした。

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イラスト 高橋きのこ

書き込むということでいえば、昔からよくわからないのが故宮博物院の絵画です。

清とか明とかの時代の山水画とか風景画とか。よく見ると、その一画に一塊になった文章の書き込み。聞くところによると、これは絵を見た人が自分の感想を書き込んだとのことです。

最初これを聞いたときは唖然としました。

どうして人の作品に平気で書き込みができるのか。ぼくが作者だったら、こんなふうに自分の作品に書き込みされた日には「お前、このヤロー」なんて怒り狂いそうです。

ところが、当時の人はそんなこと、意に介さないどころか、「わざわざ書いてくれてありがとう」みたいな感じだったとか。ちょうど台湾で本を出版するときのように、著名人が推薦文を書いてくれた、みたいな感じで有り難いことだったそうです。というわけで、書き込む側も堂々としたもの。こんな話を聞くと、一瞬、台湾の書き込みは遥か昔の時代から文化として成り立っていたのか、なんて思えてきそうです。

でも、たとえそうだったとしても、他人の作品に書き込むという発想。ぼくにとっては、やはり理解不可能です。

そして、さらにわからないのが紙幣の書き込みです。

台湾ではときどき紙幣の白いところにボールペンで数字とかが書いてあることがあります。これはどうなんでしょうか。書き込む人からすれば「そこに紙があったから書いた」ってな感じなのかもしれませんが、書き込みどうのこうのの以前に、犯罪にはならないのかなあ、なんて考えたりします。

そこのところを台湾人の友達に聞いてみると、こんな答えが。

「たぶん、商売人がお金を計算するのに書いたんだよ。小学生のころ、手のひらをメモ代わりにして文字を書くのと同じ発想」

手のひらをメモ代わり?

聞きなれない話なので、もう少し突っ込んで聞いてみると、彼女が小学生のころ、学校でいろんなことを忘れないように手のひらにボールペンで書くのはごく普通の行為だったとか。中には腕にまで細かい文字をぎっしり書き込んで、一見するとまるで入れ墨を入れたみたいに見える子供もいたというのです。

「へえ、でもボールペンで書いたら、消すときたいへんじゃないの」

すると彼女、少し恥ずかしそうに、

「大丈夫。舐めれば消えるから」

……たしかに。

台湾の書き込みの原点を垣間見たようで、それまで不思議に思っていたことが何となく少しだけわかったような瞬間でした。

(2016年7月号掲載)

 

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