第31回 向田さんの話

もうかなり昔の話です。

台北駅が今の姿になる前、まだ小さくて、どっかの田舎の駅みたいだったころ、ぼくは早朝から切符売り場の窓口に並んでました。

今では信じられないような話ですが、開いている窓口はひとつだけ。で、そこに何十人もの人が長い列を作ってました。

薄暗いロビーは夏だというのに、ひんやり涼しく、でもクーラーなんてものはありませんから、汗臭いにおいが充満してる。一種異様な空気です。

どうしてぼくがそこにいたかというと、はじめて台湾の南部へ旅行に行くためです。ただ、一人旅だったのにくわえて、当時のぼくは中国語もそれほど上手じゃなかったので、ちゃんと切符が買えるかと不安の心中。並びながら、こんなことなら飛行機で行くべきだったと、後悔さえしていました。

さて、やっとの思いで切符を買って特急自強号に乗車。窓から眺める田舎の風景はきれいで、それに当時はウーロン茶の車内サービスなんてのもあって、快適な旅モードになりかけたときのことです。

途中駅でおかあさんと中学生ぐらいの娘が乗って来てぼくのとなりに座りました。で、何となく世間話に。

kino_31_0704

「さっき飛行機が落ちたんだよ」

娘の言葉にぼくはびっくりしました。

さらにそれから三日ほど経って、テレビのニュースを見てもう一度びっくり。その飛行機には作家の向田邦子さんが乗っていたのです。

このことを以前、ぼくは台湾の新聞のコラムに書いたことがあります。すると、思ってもみなかったんですが、何通かメールをいただくというような反響がありました。

彼らはみんな向田さんのファンで、中には事故現場に行ったなんて人もいました。

でも、これはぼくにとって少し意外なことでした。

たしかに台湾でも向田さんの作品は何冊も出版されています。でも、小説にしてもエッセイにしても、彼女の作品と聞いて、ぼくが真っ先にイメージするのは「昭和」だからです。登場人物は頑固者のおとうさん、その陰で支えるおかあさん、ずるずると不倫にはまる女性。いろいろではありますが、みんなその背景には「昭和」のエッセンスを感じます。はたして台湾の人たちはこの感覚が理解できるのだろうか。そんなふうに思ったからです。

で、さっそく知り合いの台湾人を何人か集めて向田作品の読書会を開催。その中でぼくのほうから質問してみました。

すると彼らの中にも、「昭和」と共通するような感覚があることに気付いたのです。「昔、おとうさんは怖かった」とか「家族がみんな一つの部屋で寝てた」みたいな。それに作品の中に登場する小物。給食に出てくる牛乳瓶とかブリキのバケツとか、こういうものは彼らも実際に使ったことがあるとのこと(二十代とかだとないかもしれないけど)。

さすがに縁側は知らないだろうと思って聞いてみると、

「あそこに座ってスイカ食べるんだよね。庭に向かってタネをぺって吐いたりしながら」

ええっ、何でそんなこと知ってるの。あり得ない……。

彼らが縁側を知ってたのは、クレヨンしんちゃんとかまる子とか、アニメの中でよく見るからでした。でもこのとき、ぼくにとってはそんなことより、アニメで見たことをまるで彼らが自分で実際に体験したことのように、ごく普通に受け入れてることが驚きでした。恐るべし、日本のアニメ……。そして、そんな台湾人の疑似体験。聞いていて、ぼくは言葉ではうまくいえない微妙な寂しさを感じました。

今年も8月がやって来ます。毎年この時期になると、なぜかぼくは向田さんのことを思い出してしまいます。彼女が亡くなってからちょうど35年。信じられないような速さです。でも、田舎の駅みたいだった、暗い台北駅の窓口に並んでたときのことは、少年がおじさんになった今でもはっきり覚えています。

2016年8月号掲載

もどる

広告

コメントを残す