林靚玲さん-苦労人が立ち上げた美容ブランド

嘉義県竹崎出身・新北市在住 莎伶有限公司 代表  (12月12日生まれ)

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「若いときの苦労は買ってでもせよ」という言葉がある。台湾中部の田舎の集落で生まれ育った林靚玲の若い時はまさに「苦労」の連続だったという。小中学生の時分には、遊ぶ暇もなく農作業や家畜の世話に借り出され、高校、大学は働きながら定時制に通った。絵に描いたような苦労人だ。美容師の資格を取り、台北で美容関連の商品を取り扱う事業を始め、自社ブランドも立ち上げた。今では日本、台湾だけでなく、中国、ドイツ、マレーシア、シンガポールなどにも事業を拡大している。(文中敬称略、以下同)

幼いころから兄弟で農作業

 

台湾中部にある嘉義県竹崎郷。日本統治時代に台湾八景に選ばれた阿里山の麓にあり、日本の大井川鐵道と姉妹鉄道の阿里山森林鐵路の駅もある。林靚玲の故郷は、その竹崎の町の中心から外れた緑に囲まれた丘の上の集落にある。祖父母、両親、兄弟、叔父夫婦、いとこと二十数人の大家族の中で生まれ育った。こうした三世代の大家族は、農業が中心だった昭和40年代の台湾の田舎では珍しくなかったと聞く。

林靚玲には、兄、妹、弟がいるが、4人とも幼稚園には行っていない。一族で果樹園、養豚場、養鶏場を営んでいたため、物心が付ついたころからその手伝いに借り出されていたという。「柑橘類、ドラゴンフルーツ、ライチ、柿なんかを作っていました。あとビンロウ(檳榔)とかもありました」ビンロウとは、ヤシ科の実の種で、かみたばこのようにかんで味わうものだ。残った種の繊維はガムのように捨てる。高速道路のインターチェンジ付近などでは、ビンロウ売りのスタンドをよく見かける。

小学校に入学しても、放課後は友達とも遊ばずに帰宅し、草むしり、エサやりなどを手伝っていたという。「夏休みが本当に大嫌いでした。毎日ずっとうちの手伝いをしないといけませんでしたし、友達にも会えませんでしたから」だがこの時のつらい経験が、今の仕事で生かされているとも。「努力することと、我慢することを知らない間に身に付けていたようです。今では両親にとても感謝しています」

美容師の勉強をしながら高校へ

 

中学を卒業した林靚玲は、進学を考えたが、自分で学費を稼がなければならなかったため、当時、台湾省の省政府があった台湾唯一の海なし県、南投県で美容師の見習いをしながら、定時制高校に通うことにする。「始めはお客さんの髪を洗ったり、店の掃除をしたりしていました」今でも定時制の高校や大学に通いながら、美容院で美容師の見習いをしている人がいる。美容専門学校のような教育機関が少ないためだ。

美容師の国家資格を取得した林靚玲は、高校卒業と同時に南投で美容師として働き始める。しばらくして「南投よりも台北の方が流行に敏感だし、仕事の機会も多いので、台北に引っ越すことにしました」と、スキルアップのために上京を決意する。そして台北で交友関係が広がっていくのだが、ある日友人から「スキルアップするなら外国語を取得した方がいい」と言われ、「英語か日本語かで迷ったんですが、美容関係の雑誌は日本語のものも多いので、定時制の大学で日本語を学ぶことにしました」そして日本へ短期留学するという目標を掲げ、それを実現する。

半年後に台湾に戻り仕事を続けるが、兄弟が3人とも結婚し、林靚玲だけが独身ということで、故郷の竹崎の集落では「何か結婚できない事情があるのではないか」といううわさが流れ始めたという。「結婚するつもりはなかったんですが、親に心配をかけたくなくて」と、お見合いを重ね結婚。長男の出産を機に専業主婦になり、ここでいったん人生の目標がリセットされることになる。

 

 

人生の節々で掲げた目標

 

何の目標もなく過ごしてきた林靚玲は、何かしたくてずっとうずうずしていたという。そして次男の出産を機に「仕事と子育てを両立できないか」と模索を始める。ちょうどいとこが会社を経営していたことから、美容関係の商社に勤めていたころの経験と人脈を生かして、その会社に美容関連の商品を取り扱う事業を立ち上げることにし、自宅にオフィスを構えた。

まずは手始めにまつげパーマなど、台湾の美容関連商品のカタログを作り、日本の会社に郵送。「100社ぐらいに送りましたが、10社ぐらいから返事があり、数社と取引が始まりました」しばらくすると取引量が増えたため、いとこの会社から独立。自社ブランドも立ち上げる。「SALINとSULIAのふたつのブランドがあります」最近はジェルネイルなど、日本からネイルアート関連の商品なども輸入している。

ここ数年は海外のビューティーショーにも積極的に出展している。「できるだけメイド・イン・台湾にこだわり、台湾の良さを世界中の人に知ってもらいたいです。それと台湾で日本のネイルアートを普及させたいです」そのために台北でネイルアートの講習会なども開いている。美容師の見習いから始まった美容業界での仕事。「美容関連で台湾と日本の交流を深めていくのに一役買いたい」と語る林靚玲は、この新たに掲げた目標を達成するため、日夜努力している。

取材・文:吉岡桃太郎

(2016年8月号掲載)

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