謝智翔(テリー)さん – 外国語の習得で世界が広がる

台北生まれ、台北市在住 多言語講師 32歳(1984年11月10日)

 

台北市内で「多國語言café」(多言語カフェ)を経営する謝智翔は、なんとこれまでに20カ国以上の言葉を身に付けたというマルチリンガルである。英語はネイティブ並みに使いこなし、日本語での取材も何一つ差し支えない。しかし大学に入るまで語学の才能は、むしろないと思っていた。カフェを通じて広げた活躍の場で、多言語を身に付けた自身の体験と理論を語る毎日だが、目標はもっと高いところにある。ここにも語学に魅せられた一つの人生があった。(文中敬称略、以下同)

謝智翔は台北生まれ台北暮らし。客家(はっか)人の両親の下に生まれた。洗練された都会人らしい振る舞いで「テリーと呼んでください」と話す日本語は、聞けばすぐ流暢な人だとわかる。両親が客家人だという時点で、家の中には「國語(標準中国語)」と「客家語」という二つの言語が飛び交っていたはずで、この環境がすでにマルチリンガルの下地となっていたのかと思ったが、意外にも「客家語はしゃべれなかった」という。両親が子どもに聞かれたくない話を客家語でするようになったため、あえて聞かないようにするのが習慣になってしまったそうで、「ちょっとしたトラウマになってしまって、だから全然語学が得意だなんて思ったことはなかったんですよ」というから驚きだ。

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カンザス大学大学院の指導教授たち。
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今ではライフワークとなっている講演風景。

それでも勉強は好きで成績も優秀、アニメやゲームを通じて英語や日本語もできるようになっていったというから、素地はあったのだろう。大学は農学部で生物を勉強しようと台湾大学農学部園芸学科に入学したのだが、そこで語学への興味を深めることになる。ラテン語の授業を担当していた康老師という教授が多言語を操るのを見て、「目が覚めた」。まずは11カ月間、フランス理工科大学へと留学することにした。最初にフランスを選んだのは、『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』などのフランス文学に興味があったから。ただ、ここが謝智翔のすごいところなのだが、留学前には、すでにフランス語をマスターしていたというのだ。
「留学するのにある程度のフランス語力が必要だったので、台湾で猛勉強しました。当時は文法などオーソドックスに勉強しながら、フランス語マラソンをやってました。毎日インターネットでフランスのテレビ番組を見たり、ラジオを聴いたりしていましたね」

入門者の時点で外国語のシャワーを浴びても、何を言っているのかわからず苦しいのではないかと思うのだが、「聞き取れなくても楽しいんです。音楽みたいな感じですね」と謝智翔は言う。まず音から、というのが語学に対するアプローチの基本となっている。

台湾でフランス語をマスターしたので、フランス滞在中は違う言葉を覚えようと、今度はドイツ語を学び始めた。「ヨーロッパ圏内の言語は系統が違うだけで、根源が一緒。だから一つを完璧にマスターしてしまえば、あとは割と簡単なんです」。実際この期間にドイツ語もマスターしてしまい、翌々年にはドイツ交流協会から奨学金をもらってミュンスター大学へ短期留学している。

大学卒業後は台湾大学理学部大学院の動物学科へ。しかし実験室生活が肌に合わず、1年で退学。兵役と日本へのワーキング・ホリデー滞在を経て、本格的に言語学を学ぶため、アメリカのカンザス大学大学院言語学修士課程の門をたたいた。

言語学も最近では細分化され、ある特定言語の構造やしくみを紐解いたり、人間の脳がどのように言葉を感知するか、といった科学的な研究も進められているそうだ。その中で謝智翔は「音声学」、特に「音声配列」について専門的に研究した。言語学者が多言語話者である必要はなく、母語以外に話せるのは英語だけ、という研究者も多い中、謝の多言語習得への情熱は変わらなかった。カンザス大学大学院在学中にも、夏の研究費を使ってエクアドルやトルコのボアジチへ短期留学。エクアドルではケチュア語を話す部族の人たちと生活を共にし、トルコでは反政府デモにも参加して、催涙弾を浴びたこともある。

自身の語学理論を系統化するのが目標

大学院卒業までに学んだ8カ国語のうち、ケチュア語を除く7カ国語はニュースも聞き取れるというからかなりのレベルに達している。これだけ語学に堪能なら就職もたやすいように思えるが、簡単なアルバイト以外に雇用された経験がない。アメリカから帰国後は語学の勉強を続けながらフリーランスで通訳や翻訳をしていた。しばらくその生活が続いた後、2015年3月、南京東路に「多國語言café」をオープン。「語学教育の理想を実現したい」というのが一番の動機だった。

スタッフ4人全員が3、4カ国語以上を話せるというカフェは、スタート当初こそ資金難で苦しんだものの、『天下雑誌』という有名雑誌で紹介されたことをきっかけに利用者が急増。オーナーでマルチリンガルの謝智翔も脚光を浴びることになった。2016年からは台北図書館や成功大学などから講演や講座を依頼されるようになり、現在は各地での講演を月に3、4回こなしている。その他の時間は、高雄のユースホステルと協力して立ち上げる多言語交流会の準備、カフェスタッフとの打ち合わせ、土曜日の朝には語学学習者を対象にしたカウンセリングも行っている。

「多言語カフェをやらなかったら、今の舞台はなかった」という謝。自伝書籍も発行し、定期的に講演も行うようになった現在、今後の目標を聞くと、「自分の言葉への思想を系統化することですね。35歳になる3年後までに、ちゃんとしたカリキュラムを作りたい」という具体的な答えが返ってきた。自身の体験をベースにした音声中心の勉強法を系統化できれば、語学教育の現場を変える、従来とはまったく違う方法論を提示することができるという。ゼロからスタートした学習者が、音声を聞くだけでどこまで話せるようになるのか。音声からアプローチする学習方法の仮説と実験を繰り返しながら、自説を構築しているところだ。

「語学とは、人生。新しい言葉を覚えると、世界が広がる。友達が増える。僕は言葉より人間の方が好き。交流が楽しいから、言葉も覚えられるんです」

忙しい日々を送る謝智翔だが、携帯は持たない主義だという。面と向かって話すことこそ本当の交流だと知っているからだろう。さまざまな国の人々と直接話すのは、どんなに楽しいことなのだろうか。彼の語学理論が確立するその日が待ち遠しい。

取材・文:高橋真紀/写真:彭世杰

(2016年9月号掲載)

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