舒米恩  スミン

最新ツアー情報:Suming Japan TOUR 2017  ――Salute The Origin of Myself――

 

新しいものとの融和を通し、アミ族の言葉と文化を継承

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本誌読者の中には、2015年に台湾で公開された映画『太陽的孩子』(太陽の子)をご覧になられた方も少なくないだろう。そして一度映画を見れば、心揺さぶるメロディーとソウルフルな歌声が響く1曲の主題歌も深く印象に刻まれるはずだ。その主題歌「不要放棄」(諦めないで)の作詞作曲を手がけ歌ったのが、“アミ族の鬼才”と呼ばれるシンガー・ソングライター、舒米恩(スミン)である。

台東縣は都蘭部落(部族)育ち、「台灣原住民」アミ族出身のスミンは、原住民族独特のメロディーと歌いまわしを引き継ぎつつ、多彩なアレンジを加えた独創的な曲と心に迫るようなソウルフルなボーカルで多くの人を魅了する。

「不要放棄」は15年、台湾アカデミー賞・金馬奨で「最優秀映画オリジナル音楽賞」を受賞。翌16年、同曲のアミ語バージョン「Aka pisawad」は、台湾グラミー賞・金曲奨で「最優秀年度歌曲賞」を受賞。同賞で原住民語曲の受賞は史上初という快挙だ。

――「不要放棄Aka pisawad」は映画のイメージにぴったりでしたが、どのように創られたのですか。

「最初は『太陽的孩子』の主演女優・阿洛•卡力亭•巴奇辣(アロ・カリティン・パチラル)の誘いで、花蓮の撮影現場に陣中見舞いに行ったりしていました。この映画では花蓮の土地の権利問題が描かれていますが、元々原住民部落の土地の発展に興味がありましたし、故郷の台東でも似たようなことがあったので、3時間近くのラフ編集版を見せてもらった後とても強く印象が残り、たくさんの考えと思いで胸がいっぱいになりました。それで監督が私に映画の主題歌を任せてくれたのでしょう。最初は感情的になり、公平な正義を呼びかけ、『土地を返せ!』など社会的弱者の心の叫び的な歌を書こうと思っていたのですが、だんだんそれは違うと考えるようになって……。阿洛が演じた母親は、その土地を愛し、子どもたちに美しい故郷を残したいという思いから諦めずにいられた。その揺るぎない愛こそが映画の中で最も美しく心を揺さぶる精神だと思い、この歌を書き上げました」

――金馬獎の大舞台でこの曲を披露されましたね。

「金曲獎のように音楽人の前で歌うのは慣れていたのですが、金馬獎は映画の祭典なので、音楽は単に映画の一部に過ぎません。会場には有名な監督や俳優、若いころから好きな郭富城(アーロン・クォック)もいましたから(笑)、非常にプレッシャーを感じました。伴奏はピアノだけで、歌にはさらに高い精度が要求されるため、リハーサルの時はとても緊張しましたが、幸い本番になったら逆に落ち着いて歌に集中することができ、自分でも楽しめました」

――アミ語で歌を創作することになったきっかけは何ですか。

「兵役に就き、台南の新営に行った際、ほぼ全員が台湾語を話し、日常生活は常に台湾語でコミュニケーションを取っていることにびっくりしました。故郷の都蘭では私もアミ語で話しますが、それは家や教会など、家族と友達の内輪に限るんです。ですから、台南の人がどこに行っても当たり前のように母語を話すのをとてもうらやましく感じました。故郷の皆も誇りを持って、自然にアミ語で話せるようになれないだろうかと思った時、まず自分がきちんと学ぼうという気持ちが湧きました。それからは両親にしっかりアミ語を習い、電話でもなるべくアミ語で話すなど極力使う環境を作りました。言葉は使わないと忘れるし、いつか失われてしまいます。これからも残したいから、アミ語の曲を創作し始めました」

――アミ語で歌を創作する際、特に難しい点はありますか。

「以前はアミ語の曲に対する制作過程は、年長者から教えられた旋律、歌い方をアレンジして歌う伝統的なイメージでした。でもそれは年長者が生きた時代の経験と記憶から創られたもので、特に歌詞が狩猟や農耕に関する内容だと、私が歌ってもあまり説得力がないんですよね。生活の環境や経歴が違うのだから、自分たちが生きるこの時代のことを歌うべきだと思いました。ただ私たち若者が知っている語彙は年長者より少ないのです。また近代的な単語もアミ語には存在しないので、中国語や日本語由来の単語もたくさんありますし、それでも書きたいことがうまく表現しきれないことがあります。もう一つの問題は同じアミ族でも、地域によって同音異義語がけっこうあることです。幸い中国語のように声調はないので、中国語よりスムーズにメロディーと合わせられるところはやりやすいです」

――原住民であることは、歌手としてのご自身に大きな影響を与えていると思いますが、日常生活ではいかがですか。

「私は高校卒業までずっと台東に住んでいました。小さいころは自分が原住民だと意識したことはありません。周りの皆も原住民で、むしろそうでない人のほうが珍しいぐらいでしたから。出身や外見が他の人とは違うと思い知らされたのは、台北に来てからです。原住民に対して、良いイメージを持つ人もいれば悪い先入観を持つ人もいて、差別されたこともありました。どうして差別されるのか理解はできませんが、成長するにつれ、だんだん自分の本当の姿、出自を受け入れて、好きになりました。原住民は他の人が持っていないものを持っているし、正々堂々と『私は台湾人だ!』と胸を張って言えることも誇りに思います。私たちの文化に興味があり、知りたい人がいれば私も喜んで教えます」

私は諦めない

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――「阿(ア)米(ミ)斯(ス)音樂節」を主催された経緯を教えてください。

「私たちの伝統、文化の今後のあり方を考えたんです。以前、私の故郷は閉鎖的だったからこそ、アミ語の歌やカゴ編み、竹編みを年長者に習うなど自然と伝統文化に触れる機会がありました。でも今はテレビやインターネットが発達して、外の文化と価値観が部落に入りやすくなったため、伝統的な民謡や踊りに興味を失い、ポップミュージックや、ヒップホップダンスのほうがいいと言う子どもや若者が増えています。こうした状況を何とかしたいと思ったことがきっかけです。ちょうど圖騰が金曲賞にノミネートされ、部落で私の影響力が少しだけ強くなり、特に子どもたちにちょっと人気が出たころでした。そこで私は子どもたちを集め、アミ族の言葉や民謡、踊り、手工芸を教え始めました。でも実際に始めてみて、莫大な費用がかかることがわかったんです。政府の支援を受けるほか、圖騰の活動以外でも単独で資金集めに奔走しましたが、それでも不足していました。文化は継続的にやらないと根づかないのに、このままでは長期的に続けることができそうにない。そこで、もし民謡や踊りを発表できる舞台があれば、子どもたちは達成感を得られるし、入場券を売れば多少資金の助けになるんじゃないかと思いついたんです。それが『海邊的孩子』(海辺の子ども)という舞台になりました」

――それが「阿米斯音樂節」の前身ですか。

「ほかにもあります。部落の女性の中には元々竹編みやブレスレット、ネックレスなどの小物を作って売っている人がいました。若い人が好きそうなおしゃれなデザインを教えたり、クリエーティブなものを作るために頑張っていたので、そうした雑貨や食材を売る市場と『海邊的孩子』をミックスして、2013年に開催した第1回『阿米斯音樂節』になったんです。

すると皆からも面白いアイデアがいろいろ出てきて、ある時、私が伝統的な食材や料理にも新しいアイデアを加えようと提案したことがきっかけで、あるお母さんがハンバーガーをまねて、toron(ドゥルン/アミ族のもち)の真ん中にsiraw(シラウ/塩漬け豚肉)を挟んだ、アミ族ハンバーガーを作り出しました。伝統文化に新しい物を融和させるのは悪いことではないと思います。昔、山に山菜を取りに行き狩猟をしたのは、生存するために生まれた文化で、その背景には豊富な自然生態の知識の積み重ねがあり、年長者たちの知恵がありました。それは、原住民と土地をつなぐ美しい絆です。でも生活環境が変わり、伝統文化を簡単に継承できない現状では、伝統文化に新しい意味を与えるか、新しいことと融和することが必要だと思うんです。そうしなければ最終的に私たちの文化や言葉は博物館の中に保存される歴史になってしまうだけ。話を戻しますが、今年の『阿米斯音樂節』は11月5日に開催予定(詳細はP.53参照)なので、ご興味のある方はぜひ来てください」

――次世代に残したいアミ語の言葉を教えてください。

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「まさに『Aka pisawad』(諦めないで)です。実はこの曲を創作した時、人生の低迷期をさまよっていました。13年、14年と2年連続で『阿米斯音樂節』を主催しましたが、理想と違って実際の運営状況はうまくいかず、本業の音楽もそれに引きずられて道を見失いそうになっていました。本当に音楽が大好きなのに、当時は1曲も書けず、そのことに困惑して無力感でいっぱいでした。その時に『太陽的孩子』と出合い、ようやくこの曲を創ることができたのです。この曲から自分も力をもらい、音楽活動も部落の音楽イベントも諦めないでやり続けると決めました。ですから、この言葉が好きだしずっと残ってほしいです」

Profile

2002年にバンド圖騰(トーテム)を結成し、アルバム『我在那邊唱』(06)、『放羊的孩子』(09)をリリース。10年、『Suming』でソロデビューを果たし、その後『阿米斯Amis』(12)、『美式生活』(13)、『海洋.森林』(14)をリリース。11年以降、ほぼ毎年金曲獎にノミネートされる金曲奬の“常連”。11年「最優秀原住民語アルバム賞」、16年「最優秀年度歌曲賞」を受賞。15年の金馬奨では「最優秀映画オリジナル音楽賞」を受賞した。


取材・文:張引真/撮影:彭世杰/取材協力:記得我cafe

記得我café

台北市南京東路四段133巷4弄16號

02-2547-1517


(2016年10月号掲載)

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