タイヤル族の文化を継承したい – テムーバサウさん

Temu basawテムーバサウ(黃林育麟)さん

南投縣埔里鎮生まれ、台北市在住
台湾科技大学 在学中
22歳(1994年3月12日)

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 両親の苗字を両方つなげた黃林育麟という名前こそ少し目立ちはするが、Tシャツに短パン姿の黃林育麟を見た人は、台北にいるごく普通の若者だと思うはずだ。台湾科技大学で電子科を学ぶ、明るく礼儀正しい大学生。しかし彼の育った場所は、台北から遠く離れた深い深い山の奥にある。原住民族として生まれながらその文化を知らずに育った若者は、文化継承者との出会いによって自らのルーツを探り、伝えていく道に進もうとしている。(文中敬称略、以下同)

黃林育麟は南投縣埔里鎮で生まれ、隣にある仁愛鄉という地域で育ったタイヤル族の原住民である。原住民名をTemu basaw(テムーバサウ)という。埔里は多くの原住民族が暮らすことで知られ、タイヤル族の他にもセデック族、ブヌン族、サオ族、さらに再移住してきた平埔族などが混在している特殊な地域だ。台北から埔里まで車で3〜4時間。そこからさらに2時間ほど走ったところが仁愛鄉。1930年にセデック族による反日騒動・霧社事件が起こったのもこの場所である。
「仁愛鄉はタイヤル族発祥の地だといわれていて、衣装も他のタイヤル族のものとは違うんです。日本の研究者によって持ち去られたものも多いのですが、今もよく探せば多くの歌謡や文化が残されているんですよ」
幼いころは山を駆け回って遊ぶ日々。大学進学までずっと地元で育ったため、台北のことはよく知らなかった。
「小さい時に1、2度来ただけ。ツアー客みたいに観光バスで回ったんです。もっと台北のことを知りたくて、台北の大学に進学しました」
大学進学は両親の希望でもあった。台北に行って、時代に沿った電子科に学び、将来的にはその道で就職してほしい。そうした思いはテムーバサウが幼いころから貫かれていて、子どもたちにタイヤル語を話すこともなかったという。「タイヤル語が話せてもお金を稼ぐことはできない。必要ない」。そう言われて育った。

部落文化伝承者との出会い

好奇心でやってきた台北だったが、物珍しかったのは最初の1、2カ月だけで、すぐに魅力を感じなくなってしまった。山と違って蒸し暑く、空気が悪い。友達ともなんとなく笑いのツボが合わない。だが意外にも彼にとって人生を変える出会いは、その台北でもたらされた。

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カゴ編みの作り方は部落の老人に一から学んだ。


きっかけは大学の「原青社」というサークルに入ったことだった。台湾科技大学に通う原住民や、原住民文化に興味を持つ学生などが所属するこのサークルに、ある日楽器を教えてくれるというタロコ族のパフォーマーがやってきたのだ。部落文化伝承者という肩書きを持つ東冬・侯溫というアーティストは、原住民の歌や楽器を伝えるだけでなく、その文化がどれだけ豊かなものか語ってくれた。テムーバサウの中に漠然とあった「自分たちの文化を学びたい」という気持ちが、東冬との出会いで大きく膨らんだ。「東冬は僕に大きなエネルギーをくれました。彼の元で学びたい。彼となら前に進める。そう思えたんです」。こうして2013年末、東冬と共に「兒路(アㇽルー)」というアートチームを結成し、各地で原住民族の音楽や舞踊を披露する活動を始める。

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編みカゴに着ける毛糸のひもも独特な撚り方が。取材時に実演してくれた。

アイヌ文化継承者に受けた衝撃

「部落に戻って自分たちの文化を継承する」。その決意が決定的になったのは、15年の夏に兒路の活動で日本に行った時のことだった。東京で開催された「原初の唱和〜花綵列島の民の歌・踊り」というイベントに参加し、さまざまな地方のパフォーマンス団体と共演したのだが、その中にいたアイヌ伝統文化伝承者のユニットを見て、衝撃を受けたという。
「彼らが先住民の伝統儀式を披露していたんです。どうして僕たちの部落の儀式はなくなってしまったんだろう、少ない民族の彼らがこうして儀式を伝承しているのに、なぜ僕たちはできないんだろう、と。その時自分の中で、やりたくないことをしてちゃダメだ、部落に戻らなければ、と強く思ったんです」


台湾に戻って電子科の教授に相談すると、テムーバサウの熱意が伝わったのか、原住民工芸のカゴ編みを実務課題として認めてくれた。「自分のやりたいことが見つかる若者は少ない。夢があるなら追いかけなさい」と言ってくれた教授にも背中を押され、単位習得後は校内でもせっせとカゴ編みにいそしんだ。時には原住民の友達が集まるスペースで、時には学校の中庭で。興味を持って近づいてくる人がいればカゴ編みについて説明し、編み方を教えてあげることもあった。長期の休みを利用しては部落に帰り、工芸や歌謡を知るお年寄りを訪ねては、カゴ編みの技術を習得し、歌や踊りを収集した。過去のつらい記憶を思い出すのがいやで、あまり話したがらない人も多い中、足繁く通って昔はどんな生活だったか訪ね歩いているという。
テムーバサウが完成した手編みのバッグを見せると、両親は驚き、同時に息子の決意の固さを知ったようだった。「父は何も言わないけれど、僕の作品を見ると笑顔になるんです」。台湾科技大学を卒業したこの夏、仁愛鄉に戻って原住民文化の継承者として新たな一歩を踏み出す。
「部落に帰ったらカゴ編みをしつつ、自分たちの文化に対してきちんとした考えを持つ仲間を見つけたい。歌謡や舞踊は早くしないと失われてしまいます。戻って部落の状況を把握したら、協力者を探すことが重要だと思っています」

仁愛鄉のタイヤル語に「lokah(ロッカ)」という言葉があるそうだ。あいさつにも使うが、この一言に音を少し加えるだけで、いくつもの意味を表すことができるという。「ロッカ ギ」は「頑張って」、「ロッカロッカ」は「頑張るよ」。自然に囲まれた部落の山で、カゴを編んでいるテムーバサウが「ロッカ」と笑う。その姿がまざまざと目に浮かぶ。

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普段から持ち歩いているのも、タイヤル族の伝統的な編み方で作った手製リュック。

取材・文:高橋真紀/写真:五味稚子、テムーバサウ

國語記事

(2016年7月号掲載)

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