第34回 小さい字

今の時代、ぼくも含めて、ものを書く仕事の人はほとんどがコンピューターを使ってると思います。
漢字もワンクリックで変換できるし、脱字なんかがあると文字の下に波線が入ったり、ある意味すごく便利。というか、そんなことを考えることさえないほど、それが普通になってます。
でも、その昔(もうかなり昔のことだけど)、ぼくがまだこの仕事をはじめたばかりのころは原稿は手書き、修正は赤ペンが当たり前でした。
そして、そのとき困ったのが校正です。
校正というのは誤植がないかどうか出版される前に仮刷りをして、原稿をチェックする作業ですが、台湾の出版社の場合、当時はこの仮刷りの初校がもうめちゃくちゃ。日本語の体をなしてないものもあって、「これ、ほんとに自分が書いたの?」と疑いたくなるようなケースさえありました。
で、どうしてそういうふうになるかというと、仮刷りを作るときに活字を組む「打字行(ダーズーハン)」と呼ばれる人たちが、日本語がわからないからです。文字の形だけ見て、それらしいのを組んでいくものだから、とんでもないのが出来上がってきます。
たとえば、ひらがなの「し」とカタカナの「レ」。これが区別がつかないらしく、「わたレ」とかいう言葉が平気で出てくる(「わたし」のことです)。カタカナの「ソ」と「ン」も曲者で、「しストラソ(レストラン)」なんてのにいきなり出くわすと、もう笑うしかありません。
そんな中で、いちばん厄介なのが「つ」でした。
「つ」はほかに似た文字があるわけではないんですが、促音、つまり「っ」のように小さく書くことがあって、この大小がぱっと目にわかりづらく、何回チェックしても必ずひとつふたつは見逃してしまいます。
で、出版されたのを見て、「行つて来ます」なんてのを見つけた日にはひどく落ち込むのです。

小さい字といえば、中国語の中にもあります。
それは「起(チー)」です。
道端なんかでときどき簡易テーブルやビニールシートを広げて、そこには大量のバッグとかシャツとか。店主が大声で「早く買わなきゃなくなるよ」みたいなことを連呼してます。
そしてそのわきにある看板。「100元」とか大きく値段が書いてあるんですが、よく見るとその横には「起」の文字が。
台湾在住の方なら、これだけでもう何のことかおわかりだと思います。
「起」は中国語では「~より」という起点を表す言葉。つまり「100元起」と書いてあれば、それは「100元より」ということで、100元で買えるのは最低金額の商品だけということを意味するのです。
そうとは知らず、おっ、きょうはツイてる、こんな安いのに出くわすなんて。と喜びながら、あれこれ品定めをして、気に入ったものを三つばかり。どうせ300元かそこらなんだから、モノが悪くたって大丈夫。そんなことを思いながら商品を店主に渡して勘定を頼むと、彼はぶっきらぼうに一言、「1500元」。
何っ!
一瞬、何が起こったか理解できない。1個100元のが三つだから300元じゃ……。と思って、もう一度看板を見ると「100元」の横に「起」の文字。これが「100元」の10分の1ぐらいの小ちゃな字で書いてあることに気付くのです。
まあ、こういうのはたいていが1回引っ掛かると、次からは引っ掛からないものなんですが、ぼくの場合、すぐに忘れてしまいます。そして何度か引っ掛かって、やっと値段の横に「起」の文字がないか確認するようになります。
でも、これが道端じゃなくて雑誌やインターネットの広告だったりすると、性懲りもなくまた引っ掛かってしまうのです。
そうやっていつの間にか、値段を見たら「起」を探す。そんな癖がついてしまいました。でも、最近ではおかしなもので、そこに「起」がなかったりすると、今度は何となく寂しい気がしたりもするのです。

2016年11月号掲載

もどる

広告

コメントを残す