林承毅さん – サービスデザインで日本と台湾をつなげたい      

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南投県埔里出身、新北市在住

林事務所 サービスデザイナー 1977年11月18日生まれ(38歳)

「サービスデザイン」という言葉を聞いたことがあるだろうか。かみ砕いていうと、企業や団体などのサービス提供者と顧客との接点全体をデザインと考え、さまざまな手法でそれを最適化することだ。例えば電車に乗るとき、まず乗車券を買い、改札を通る。電車に乗っている間だけでなく、その前後も含めて全体を最適化するのが、「サービスデザイン」の考え方だ。それに携わるのが「サービスデザイナー」で、林承毅もその一人。日本と台湾を股にかけ、台湾の大学で教鞭を執りながら、雑誌やウェブのコラムの執筆などもこなす。(文中敬称略、以下同)

日本に興味津々な双子の弟

台湾中部の南投県埔里。四方を山々に囲まれた自然豊かな盆地の町で、近年はWater(良質の水)、Weather(恵まれた気候)、Wine(うまい酒)、Women(魅力的な女性)の「4W」を掲げて町おこしを行っている。良質な水と恵まれた気候は酒造りにも適しており、約100年前の日本統治時代に創業した酒造場もあり、紹興酒の生産地としても有名だ。そんな埔里の町の中心の外れにある雑貨店で双子の弟として生まれ育ったのが林承毅だ。

母親が雑貨店を切り盛りしていて忙しかったため、双子の兄と、母親から買い与えられた百科事典や本が遊び相手だったという林承毅。その中で日本の歴史や文化などに触れ、同居していた祖父から日本の話を聞き、いつしか日本に興味を抱くようになっていた。「今でもそうですが、僕は子どもの時から『好奇寶寶(ハオチーバオバオ)』だったんです。とにかく何にでも興味を示して、どうして?と聞いていたそうです。日本にも憧れみたいなものがありました」「好奇寶寶」というのは好奇心旺盛な人のことだ。

そして中学に入ると、教室でクラスメートに日本の話をあれこれ中国語で語るようになる。しかし「クラスメートから『漢奸(ハンジエン)』と言われましたよ。そういう時代だったんですよ」「漢奸」とは漢民族の逆賊という意味だ。当時の台湾ではまだ戦前、植民地として台湾を支配し、戦争で中国人の命を奪った日本に対しての反感もあり、また、学校でもそういう教育がなされていたというのも一因だろう。それでも林承毅の日本についてもっと知りたいという気持ちはどんどん膨らんでいったようだ。

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子ども時代を過ごした埔里の町、鯉魚潭と全景

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幼い時はいつも双子の兄と一緒だった。

日本と台湾をつなぐ仕事

林承毅の日本との縁は父方の曾祖父の時代にまでさかのぼる。日本統治時代、曾祖父は日本に渡って建築の仕事に携わっていたという。「祖父は日本の大学を出て歯科医になり、父は千葉で生まれたんです。祖父からはよく日本の昔話や童謡を聞かされました。『月月火水木金金』とか軍歌も歌えますよ!」

高校に入ってからはNHKの大河ドラマのビデオを見たり、日本の歴史小説の翻訳本を読んだりして、日本の歴史にも興味を持つようになる。「日本には子どもの時から親しみを持っていたんですが、ずっと日本へ行くチャンスがなくて」今では日本へ行きたいという気持ちが実り、林承毅は度々宮崎に足を運んでいる。サービスデザイナーとして、宮崎と台湾の接点全体をデザインと考え、さまざまな手法でそれを最適化するためだ。

例えば宮崎側には台湾人の生活習慣や消費者動向を知ってもらうために講演を行う。台湾側では宮崎のいろいろを紹介するゆるキャラ「宮崎犬」の台湾での認知度を高めるためにfacebookのページを運営する。まずは相互理解という形で「情報」の接点を最適化していく。情報の次は「物」だ。農業という切り口で台湾と宮崎の農産物を自らの言葉を使って相互に伝え、企業の顧問も務める。顧問といっても単にアドバイスを行うだけではない。実際に自らが動いて、最適な方法を導き出すのだ。

こうしたサービスデザイナーとしての仕事には、大学で学んだ経済学、そして大学院で学んだ民俗芸術学が生かされているようだ。台湾で初めて24時間営業の書店を立ち上げた大手書店チェーン「誠品書店」、台湾最高の国立学術研究機関である「中央研究院」に務めていたこともある。数年にわたって商業コンサルティングの仕事に携わっていた林承毅は、自分のスタイルで仕事ができるように昨年3月に独立し「林事務所」を立ち上げた。宮崎だけでなく、台湾でもサービスデザイナーとして仕事をこなしている。

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実際に足を使って学生たちに教えるのが林承毅流

例えるなら仕事は陸・海・空

林承毅の仕事はバラエティーに富んでいる。サービスデザイナーとして企業の顧問を務めているかと思えば、大学で教壇に立ち、「デザイン・シンキング」(デザインの思考)や「サービス・イノベーション」(サービスの革新)について語る。空き時間にはキーボードを叩き、雑誌やウェブのコラムなどを執筆し、facebookの更新も怠らない。「好奇寶寶」ぶりは相変わらずで、台北路上観察学会を立ち上げ、自ら会長を務めている。

そんな自分の仕事を林承毅は「陸・海・空」と例える。「僕の仕事って顧問、講師、コラムニストと一見、何の関連性もないようですけど、実はどれもつながっているんですよ。顧問の仕事はまさにビジネスという『陸』での戦いです。そしてキャンパスという『海』で学生たちに泳ぎ方を教え、雑誌やネットといった『空』から文章をばらまいて、僕の考え方を伝えるんです」サービスデザインを軸にすべての仕事がつながっているのだ。

林承毅は今、日本との仕事を九州に絞っている。「縁あって宮崎から仕事のオファーが入るようになって。九州へ行く機会も増えてきているので、まずは九州と台湾の橋架け役になるような仕事をしていきたいですね」幼い時に祖父から聞いた日本と自分の生まれた台湾をサービスデザインでつなぎたい、という願いが実を結ぶ日もそう遠くはないだろう。

取材・文:吉岡桃太郎

(2016年10月号掲載)

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