郭獻尹さん-日本語教育・研究に情熱を注ぐ

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基隆市生まれ、台北市在住・39歳(1976年12月30日)
東呉大学・世新大学・国立政治大学日本語講師、中央研究院語言学研究所博士級研究助理。

 

政治大学の日本語文学系擴大輔系(副専攻科)、東吳大学の推廣部日文班(日本語推進クラス)、世新大学の日本語文学系(日本語文学科)と計3校で教鞭を執る郭獻尹は、台湾総統府が管轄する研究機関・中央研究院の語言学研究所博士級研究助理(助手)として日本語の発音についての研究を続けている。教えることに何よりも達成感を感じ、読む本といえば論文だという根っからの学者肌。ネイティブも気づかない発音の違いを聞き分ける確かな耳と探究心で、日夜、日本語と向き合い続ける。(文中敬称略、以下同)

台北市木柵にある政治大学の教室内に日本語が響きわたる。40人ほどの学生が教師に続いて読んでいるのは、弁当について書かれた日本語の文章。イントネーションや間合いが外国人とは思えないほど自然であることに驚きつつ、中国語による解説を聞いていると、教室の話題は駅弁から「ウニ丼」のことになった。ウニを漢字でどう書くか、丼とはどういう食器か。クラスの日本文化への理解は、日本人にも決して引けを取らない。この教室で時には日本語で、時には中国語で授業を進める郭獻尹は、日本語研究者、教師として今や台湾の日本語教育の現場に欠かせない人物だ。通常の仕事のほかに政府教育部の日本語ニュースレターの審査を担当。大手出版社・大新書局の顧問も務める多忙ぶり。ライフワークとなっている日本語との出合いは、幼少期にさかのぼる。

日本語研究の道に入るまで

郭獻尹がまだ幼いころ、日本統治時代に日本語教育を受けた祖父母は、日本文化についてよく語って聞かせてくれた。味噌汁の食べ方、和菓子の美しさ。「日本の良いところばかり話してくれました」という祖父母の話は強く心に残り、いつか日本に行ってみたいと思うようになった。当時の台湾の教育制度は、中学卒業後に普通の高校か専門的な知識を学ぶ5年制の専科学校に進むのが一般的で、卒業後の就職を見据えて専科学校に入る学生も少なくなかった。郭獻尹もその例に漏れず、親の勧めで就職先の多い電機系の学校に進学したのだが、1年目の夏に転機が訪れた。夏休みを利用して一週間の日本旅行へ出かけたのだ。東京から大阪、京都、奈良、帰りは福岡空港から台北へ。一人で団体旅行に参加して各地を回った。

祖父母から聞いて憧れていた日本だったが、一番のカルチャーショックは「言葉が通じない」ということだった。中国語はもちろん、英語で話しかけてもほとんど通じない。だったら自分が日本語を勉強しようとの思いつきが、その後の人生を大きく変えることになる。さっそく語学学校に入学したところまではいたって普通だが、郭獻尹がただの学生と違ったのは、「自分が最初に日本語の情報を得て発信する側になりたい」と強く思ったことだった。

語学学校に9カ月通った後は独学で勉強し、日本人留学生との言語交換や文通を繰り返すうちに会話や簡単な作文は問題なくこなせるようになった。専科学校から淡江大学應用日語系(実用日本語科)への編入試験に合格。本格的に日本語を学び始めるが、この時点ではまだ「日本語で仕事ができたらいいな」という程度の気持ちだった。

日本語教師になってみて、その考えが変わる。淡江大学を卒業後、栃木県の語学学校に職を得て各国の生徒に日本語を教えているうちに、大きな壁にぶち当たったのだ。

「教えても教えても発音が直らないんです。これはきちんとした理論がなければ解決しない。台湾に戻って発音の分野を研究しよう、と」

こうして約半年で台北に戻ってきたものの、現実は厳しかった。家族に説得されて新たな職を探すことになり、今度は中国の広東省へ渡る。紡績の大企業で通訳や日本語講師として約半年働いた。

「そこで気づいたんですが、通訳とか翻訳よりも、日本語を教える方に達成感を感じるんですよね。それでやっぱり日本語教育の道に進むしかないと思いました」

台南の南台科技大学應用日語研究所に合格し、大学院卒業後は講師として東呉大学へ。日本語研究に邁進する日々がこうして始まるのである。

話すならできるだけ美しい発音で

郭獻尹の朝は早い。5時に起床すると、まだ外が暗いうちからパソコンに向かう。Facebookを立ち上げ、個人ページに加えて「日語勉強會」「台灣日語教師交流會」という二つのコミュニティーページの書き込みに対応する。ニュースレターの審査、メールチェックなどの作業を7時前に済ませ、朝食を食べたら家を出る。

毎週火曜の昼から世新大学で、木曜の朝10時から政治大学で講義。火曜と木曜の夜は東呉大学で午後6時から10時まで夜のクラスを受け持っており、昼間はデスクで試験の準備や採点などさまざまな雑務をこなす。月水金は中央研究院へ。合間には打ち合わせや教職者からの相談に応じ、毎日帰宅はだいたい夜11時ごろになるという。

手掛ける仕事は多岐にわたり、とにかく毎日めまぐるしく過ごしている郭獻尹のリフレッシュ方法は、「アメリカ映画を見ること。特にファンタジーものが好きです」。日本語作品はあまり見ない。せりふを聞いていると発音が気になって、仕事モードに入ってしまうのだそうだ。

「以前もアニメ『NARUTO』の劇場版を見ていて、『修行』の発音が気になってしまって。たぶん鼻濁音の問題だと思うんですが……」

母国語では無意識の領域である微妙な音の違いを客観的に分析する郭獻尹の講義は、日本人にとっても面白い。例えば「散歩します」という音を外国人は文節で区切って「さんぽ」「します」と読むが、日本人は無意識に「さん」「ぽし」「ます」と区切っていて、さらにリズムを良くするために「ぽし」の部分を早く発音しているのだそうである。外国人はこの理屈を知って初めて自然な発音に近づける。これが郭獻尹の研究テーマの主幹だ。語学は通じればそれでいいというものではない、できるだけ美しい発音に近づきたい、と熱く語る。それほどまでに真摯に追求する日本語、特に日本語の音の魅力とは一体何なのだろうか。

「日本語は美しい言葉です。というのは最後が母音で終わるから。僕は母音を耳に心地いい楽音だと考えていて、母音で終わる言葉というのは人間にとって聞き心地がいい。日本語は生理的に受け入れやすい言語だと思うんです」

こちらが恐縮するくらい丁寧な日本語で、郭獻尹は言った。

取材・文:高橋真紀


(2016年5月号掲載)

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