林大晉 ジンリン

w_d3a7709_3往年のスター、挫折を乗り越え
再び夢を実現

1995年、テレビ番組で香港の「四大天王」の一人、郭富城(アーロン・クオック)の物まねをして人気に火が付いた林大晉(ジンリン)。同番組出身の羅志祥(ショウ・ルオ)、歐漢聲ら7人と共に「七小福」と呼ばれ一躍時の人に。その後、ユニットPOSTM2NおよびPOSTM3Nでアイドル的な人気を博したが、兵役を機に解散。歌とダンスには定評があったものの、その後長い不遇に苦しみ、2011年ソロEP『JIN距離』でついに芸能界復帰を果たす。アイドル歌手だった彼がどのように挫折し、その後苦境を乗り越えたのか? 復帰までの道のりを赤裸々に語った。

―兵役が終わった後、芸能界でうまくいかなかったそうですね

「兵役後に会社との契約期限が切れたため、仕事が一気に減りました。当時アイドルではF4が一番人気だったので、自分は俳優に重心を置こうと思ったものの、身長の制限でちょい役ばかり。ある時受けた芝居のオファーはセリフもない端役でした。他の役、あるいはセリフを加えてもらえないかと聞いた時、監督に言われた言葉は今でも忘れられません。『もうお前の時代じゃないんだから、文句言わずにやれ。やらないなら今すぐ帰れ』プライドが高かった私はそのまま帰りました。会社に守られていたアイドルの地位がすでに過去の栄光となっていることを、なかなか受け入れることができなかったんです。そして兵役後3年もたつと芸能関係の仕事は全くなくなりました」

―他の仕事を探したのですか。

「芸能界の先輩の郎祖筠さんが、彼女が所属する劇団の事務の仕事を紹介してくれて、一般人として初めての仕事を始めました。でも昔からあまり勉強が得意ではないし、歌やダンスなど芸能人になるためのことしか学んでこなかったので、最初はコピー機すら使えない役立たずでした。郎さんは優しい人なので何かと気を遣ってくれましたが、同僚の手前、特別扱いされてばかりでもいけないと、ある日チラシ配りの仕事に自ら手を挙げました。人が多い西門町で、元アイドルだとばれて嘲笑されるのが怖くて、顔を隠すように帽子を目深にかぶってチラシを配りました。ちょうどそのとき5566(台湾のアイドルユニット)がミニライブとサイン会をしていて、最初は久しぶりに会った友人たちにあいさつしようと舞台に足を向けたのですが、王仁甫(ザックス・ワン)と目が合った瞬間、急に卑屈な気持ちになって、背を向けてその場を離れてしまいました。『彼らがしていることは自分にもできるのに、何で私だけそこに立つ機会がないのか』って考えたら一瞬で涙があふれ出し、その日のうちに会社を辞めました。その後は家にこもって一日中ネットゲームをやって、ゲームの世界に逃げました。そのうち顔がニキビだらけになり夜も眠れなくなったころ、医師に診てもらったらうつ病だと診断されました」

―どうやってその状況を克服したのですか。

「ある日、車の中で父を待っている時、カセットデッキにテープが入っていたので再生してみると、昔の自分の歌が流れてきました。タクシーの運転手だった父は、私の歌をずっと聴いていてくれたのです。引きこもっている間、父は毎朝出勤前に机の上に100元の生活費を置くだけで、一度も私を責めなかった。父の心の中では、自分はアイドルのままなのかもしれないと気づいて、ひどく驚くと同時に、このままじゃだめだと目が覚めました。そして、なんとか友達のツテでダンス教室でダンスを教えたり、高校のクラスメートから勧められた太極拳を始めたりしました。太極拳は最初お爺ちゃんお婆ちゃんがやることだと乗り気ではなかったのですが、やっているうちに、だんだんと気持ちが落ち着いてきたのです。お年寄りたちもかわいがってくれましたし、人との接触も増えたせいか、少し自信を取り戻せました」

―では芸能界復帰のきっかけはなんですか。

「1年ぐらいたったころ、太極拳が上達した私を見たクラスメートが『得意なポップダンスと太極拳の本を出してみない?』と提案してくれました。それを聞いた時、心が熱くなって、すぐにやると答えました。文章を書くことは苦手だった私がなんとか太極拳とポップダンスを融和させた運動をテーマとした『晉舞19』を出版したら、10年ぶりにテレビ番組に出演できました。それがきっかけで、今度はEPを出してくれるという会社が出てきた。夢のような話ですぐには信じられなかったので、プレスされたEPを実際に手にするまで父には話せませんでした。EPを手渡した時、父はうれし涙を流していました。このEPの制作時、資金が潤沢ではなかったので実は自分でMVを録りました。思考錯誤しながら制約のある条件下でしたが、成功したと思います。ある時、商品のイメージキャラクターのオファーがきたので、私は自らクライアントのために宣伝の映像を録りました。それが好評だったらしく、ほかのオファーも来るようになりました。昔だったらありえない、できないと思ったことも、別の方法を探せるようになったのだと思います。ですから私は今、“機会は待てば来るものではない。自分で作るものだ”と考えています。今はそんなに有名じゃないけど、日々本当に楽しいです。学校でミニライブをする際には、学生たちに私の体験談を話して励ますのです。つらくてもすぐに失望したり諦めたりせず、何より自分を諦めないことが大事だと伝えたいです」

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―今年は写真集を出版しましたね。

「『想在東京遇見妳』(東京で、あなたと出会いたい)というタイトルです。タイトルの「妳(あなた)」は必ずしも女性、または男性を指しているわけではなく、夢や好きな物、景色にもあてはまります。東京は私にとって夢の場所で、日本の文化にもいろんな影響を受けているので、これは私の思い入れのある景色を撮影した写真集です。以前いつも父と一緒に日本のプロレスを見ていた影響で武藤敬司選手が好きなのですが、写真集の撮影を通して彼と知り合えて、一緒に写真を撮ることもできました。そして小さいころに見ていた『ドラえもん』、『ウルトラマン』、『仮面ライダー』などに関するグッズや木村拓哉さんのドラマのロケ地など、かなえたかった夢が詰まった1冊です。自分で作曲した日本語シングル「すべての愛をください(把愛都給我)」のMVも日本で撮影しました。日本のKKBOXからダウンロードできますので、ぜひチェックしてみてください」

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Profile
1995年、郭富城(アーロン・クオック)の物まねを披露したテレビ番組で一躍人気になり、97年に勞光宇とPOSTM2Nというユニットを組み、アルバム『愛給你』をリリース。98年に王仁甫をメンバーに加え、POSTM3Nとして『一極棒』をリリースした。2011年個人EP『JIN距離』で歌手として復帰、ミニアルバム『精靈』(14年)、15年2月芸能事務所『藝拍集合』を設立し、12月にアルバム『JIN化論』をリリース。また、08年に書籍『晉舞19』、09年に『舞林大特搜』、16年には写真集『想在東京遇見妳(東京で、あなたと出会いたい)』を出版するなど多方面で意欲的に活動中。


写真提供:藝拍集合娛樂

(2016年11月号掲載)

 

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