マラソン女子が伝える日本の姿  何波妞(何ポニョ)さん

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新北市永和出身、新北市新荘区在住
コラムニスト、観光ガイド
12月23日生まれ

取材・文:吉岡桃太郎

自らを「田舎ガール」と自嘲する何波妞。幼いころから都会に憧れ、台北の高校に通い、東京で暮らしたこともある。漫画家を目指していたが、文章を書くことに目覚め、現在はコラムニストとして筆を執る傍ら、講演をこなしたり、自らツアーを企画し、そのツアーに添乗員兼ガイドとして同行したりしている。自他共に認める「マラソン女子」でもあり、今年初めて「名古屋ウィメンズマラソン」に参加し、同マラソンのツアーの添乗員兼ガイドも務めた。
漫画家を目指した少女時代

台北市の郊外の永和市(現・新北市永和区)の祖父宅で産婆に取り上げられた何波妞。日本統治時代に警察官をしていた祖父は昔気質の人で、日本式の教育で厳しかったといい、同級生で産婆に取り上げられた人はほとんどいないそうだ。祖父が亡くなった前後の幼稚園のころには新荘市(現・新北市新荘区)で暮らし始める。「交通が不便なところで。私って『田舎ガール』なんですよ。だから都会にとっても憧れていたんです」

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1. 国立台湾芸術大学戲劇系(演劇学科)の同級生たち。

物心ついたころから日本の漫画が好きだったという何波妞は、中学校に上がると漫画サークルを自ら立ち上げ、2年生になると後輩たちに漫画の書き方を指導していたという。「少女漫画ではかわちゆかり、清水玲子、少年漫画ではあだち充、鳥山明の漫画が好きでした。でも当時は日本語がわからなかったので、中国語に翻訳されたのを読んでいました」
3年生になると、学歴社会の台湾では、日本の中学生と同様に進学について悩むことも少なくない。「自分で言うのもなんですが、成績は悪くなかったんですよ。だから先生からは北一女(台北市立第一女子高級中学)に行けと言われたんですが、どうしても漫画が書きたくて」北一女は呂秀蓮元副総統などの著名人を輩出している進学校だが、何波妞は漫画を書く糧になればと、反対を押し切って台北の商業高校の広告デザイン科に進学する。ほかにも広告デザイン科のある商業高校はあるが、都会への憧れから台北以外の高校は考慮しなかったという。

漫画から執筆と芝居、台北から日本へ

高校では絵やデザインの勉強に励む傍ら、同人誌の集まりにも参加したり、校誌のイラストを描いたりしていたが、何波妞はひょんなことからその校誌のインタビュー記事を書くことになる。「祖父が厳しかったから、幼稚園の時にはもう読み書きができたんです。小学生の時には漫画だけじゃなくて、小説も読んでいたし。校誌のほかにエッセイや小説のコンテストに応募したら、結構入賞して1000元とか2000元とかの賞金がもらえて。いい小遣い稼ぎになりました」当時の高校生にとって、これはちょっとした贅沢(ぜいたく)のできる金額だったようだ。

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2. 商業高校時代の一コマ。

卒業後は校誌の編集で培った経験や人脈を生かして、雑誌や新聞に記事を寄稿するようになる。「ちょっと絵を書き過ぎたみたいで、文章を書きたくなったんです」しばらくフリーライターとして働いた何波妞は大学への進学を考えるようになる。「大学に進学した友達の話とか聞いているうちに自分も大学に行った方がいいかなと思うようになって。1年間予備校で必死に勉強しました」そして漫画、小説のほかに好きだった映画の勉強ができる台湾芸術大学に進む。
卒業後、今度は新聞社に就職するが、子どものころからの都会への憧れは日に日に増し、大好きだった漫画の世界を実際に自分の目で見てみたいと、何波妞は日本への留学を決意する。「両親はもちろん反対しましたよ。日本へ行ったことはないし、日本語も話せないし。でも時間をかけて説得したんです」そして何波妞は東京の語学学校へ留学することになる。

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3. 10月の阿里山マラソンでは22キロを完走。

コラムとツアーで伝える日本

日本で2年半ほど過ごした何波妞は、台湾に戻ると執筆や講演を通して、日本の文化や生活について台湾人に紹介するようになる。そしてガイドと添乗員の資格も取り、自らツアーを企画し、そのツアーに同行している。「文章や講演と違って、ツアーって実際に体験できるじゃないですか。食べたり遊んだりするのもいいですが、日本の文化や生活にも触れてほしいんですよ」
何もかもが順調だったところに突然訪れた失恋。これをきっかけに何波妞はマラソンに目覚める。「忘れたくて忘れたくて、何かに没頭しようと思って、とにかく走ったんです。そしたら友達がトライアスロンのサークルに誘ってくれて。せっかくだからとマラソンの大会に出場したら、それがクセになってしまって」最初は短い距離だったが、今ではフルマラソンも走るようになり、台湾の大会にとどまらず、日本の大会にも出場する「マラソン女子」として、マラソン関連の執筆やツアーの企画、同行もやっている。
日本留学中に「日本と台湾の架け橋」になりたいと思うようになった何波妞は、「執筆や講演、ツアーを通して、日本と台湾のことを伝えていきたいですね」と、今、コラムニスト、マラソン女子、観光ガイドとして、「日本の姿」を台湾人に伝えている。

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4. 講演では主に日本の姿を語る。
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5. ラジオ番組でも日本の姿を紹介。

(2016年12月号掲載)

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