素顔の台湾人 Vol.29 苦難を乗り越え商才を発揮、早期リタイア後はスローライフ

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洪麗蓉さん

雲林生まれ、台北市在住
不動産貸付業。59歳(1957年8月1日生まれ)

取材・文:高橋真紀

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洪麗蓉は台北市民権東路の公園沿いにある閑静な3LDKのマンションで、駐在員や留学生と共に暮らしている。友人に勧められたハーブティーを飲みながら、穏やかに話し始めた彼女の人生は、その笑顔からは想像もできないほど波乱に満ちたものだった。夫を亡くし、女手ひとつで娘を育てながら、困難に立ち向かってきた彼女は60歳を迎える今、これまでを振り返り、助けてくれた人たちへの感謝でいっぱいだという。強くしなやかに生き抜いてきた台湾人女性の半生を、じっくりと聞かせてもらった。

公園に面した閑静な自宅を訪ねると、洪麗蓉が笑顔で迎えてくれた。お気に入りのハーブティーを淹れながら、おいしいナツメやドライフルーツについて話しているのを聞いていると、なんだか実家に帰ってきたようだ。この気安い雰囲気も、彼女の人柄によるものなのだろう。

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台湾中部の雲林生まれ。実家は人気のパン屋さんで、苦しい時代の中では恵まれて育った方だと語る。中学生まで雲林で過ごし、専科学校(技術人材を要請する学校)に進学するために台北にやってきて、すでに45年。現在は一人娘も結婚し、自宅の2部屋を間貸しして、悠々自適な暮らしを楽しんでいる。ただし穏やかな今の暮らしは、数々の困難を乗り越えた先につかんだものだ。

最初の大きな転機は24歳の時に訪れた。専科学校を卒業してから2年ほど働き、寿退社して翌年には長女を出産。幸せの絶頂と思われたその時、夫を亡くしてしまう。

「子どもを一人で育てていくことになったのだけれど、とても受け入れられなかった。何もかも変わってしまって、自分の人生が真っ暗になってしまったように感じました」

ショックのあまり心がすっかり沈み込み、何をする気力も起きなくなってしまった。食べるのも面倒で、友人の励ましもまったく耳に入らない。鬱々と人生を悲観する日々が3年も続いた。ところが3年間苦しみ抜いた後、突然目が覚めるように力が湧いてきたという。

「みんな楽しく笑って過ごしているのに、自分だけどうしてこんなに苦しまなければいけないのだろう。楽しい1日と苦しい1日、同じ1日なら楽しく過ごした方がいいじゃないか。そんな風にある日突然思って、苦しみに立ち向かおうと決めたんです」

雲林の両親も全面的に洪麗蓉をバックアップしてくれた。父親が出資してくれたお金で喫茶店を開業。場所は台北師範大学にほど近いところだった。娘の世話は母親が手伝ってくれて、なんとか喫茶店も軌道に乗ってきた。2度目の大きな転機となる事件はそのころに起きたという。

投資に大失敗、活路を求めて日本へ

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「喫茶店を開いたころの台湾は、空前の株ブームだったんですが、投資に失敗してしまって」。後にブラックマンデーと呼ばれる世界的な株価の大暴落が彼女の人生をも狂わせた。喫茶店を畳んで途方に暮れていると、同じように投資に失敗した友人から日本で商売をしないかと持ちかけられた。借金してなんとか東京行きの費用を作り出し、台湾の食品や服飾、雑貨などを日本在住の台湾人に販売することで、細々と生計を立てていた。

3年ほど日本に滞在した後、稼いだお金を元手に台湾に戻ってパン屋を開業。このお店は4、5年続けるのだが、この期間に東京で親しくなったシンガポール人女性の勧めでシンガポールを訪れ、すっかり気に入って娘を留学させている。ホームステイ先を見つけてシンガポールの中学校に進学させ、自分は台湾でお店を守っていた。パン屋の経営は順調だったが、これも長くは続かなかった。家庭のトラブルで経営を続けることが難しくなってしまったのだ。

店を友達に譲った洪麗蓉は、行く当てもなく一人娘のいるシンガポールへ移り住むことにした。やがてシンガポールで暮らすうちに、台湾人留学生のために何かできることはないかと思い始め、宿舎を開くことになる。

「台湾人留学生が住む場所を提供しようと思ったんです。マンション1棟を借り、30部屋を貸し出しました。部屋はすべて埋まって、すごく好評だったんですよ」

娘がアメリカの大学に進学したためアメリカに移住し、テキサスとカリフォルニアに滞在したものの、車の運転ができない洪麗蓉には移動もままならず、生活の不便さと退屈さに耐えかねて、1年ほどで台湾に戻ってきた。また1からのスタートである。

代理販売の会社を設立し、52歳で退職

台湾では日本時代に代理販売をしていた経験を生かして、デパートで日本の商品を売る仕事を見つけた。だが半年ほど働くうちに、自分でも起業できるのではないかと考えるようになった。彼女がすごいのは、実際に自分の会社を作ってしまったということだ。営業もすべて自分でこなした、全国のデパートにプレゼンして販売させてもらっていたという。この時40歳を過ぎていたが、バイタリティーには自信があった。「ただの主婦でも、やればできるものなんですよ。私が特別なんじゃなくて、みんな潜在能力を持っているはずなんです」。

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一人娘がアメリカで出会った台湾人男性と結婚して、子育てが本当の意味でひと段落ついた時、「定年退職」と決めて会社も畳んだ。52歳の時だった。経営者として得た利益で民権東路にある今の自宅を購入。1人暮らしに3LDKは広すぎるので、残りの2部屋をシンガポール時代のように、留学生に貸し出そうと考えた。現在は駐在員として働いているマレーシア人女性と、地方から台北に出てきた台湾人学生が住んでおり、時には一緒にお茶したり、ご飯を食べたりしながら暮らしている。

普段の食事はほとんど自炊で、時には同居する二人にもふるまう。掃除や植木の世話も欠かさない。散歩して友達と会い、おしゃべりするのが日課。アメリカや日本など海外にも友達がたくさんいるので、友人を訪ねる海外旅行も楽しみの一つだという。

夫の死や投資の失敗を乗り越え、4カ国を渡り歩いて今の生活にたどり着いた彼女に、残りの人生をどう過ごしたいかと尋ねてみた。洪麗蓉は穏やかに静やかにこう答えてくれた。

「人生の中でいろいろな人に助けられてきて、すごく感謝している。私には恩人がたくさんいるんです。残りの人生では、今度は私が誰かの恩人になれたらいいですね」

(2017年3月号掲載)

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