素顔の台湾人 Vol.30 台湾の「日本語族」を支える若手の一人杜青春さん

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杜青春さん

台北市出身・在住
銀行員、台湾川柳会代表。54歳(1962年5月24日生まれ)

取材・文:吉岡桃太郎

柳、俳句、短歌といった日本の伝統的な詩歌を趣味とする人たちが台湾にはいる。結社も幾つかあり、毎月句会や歌会が開かれているが、会員の大半が戦前、日本統治下の台湾で日本の中等教育を受け、今でも日本語を嗜む年配者だ。会員の高齢化と後継者不在が顕著になってきているが、そんな中で40代という若さで(当時)「台湾川柳会」の代表に就任したのが杜青春だ。ほかの句会や歌会にも顔を出し、台湾の「日本語族」を支える若手の一人になっている。

父親の転勤をきっかけに日本留学

台北101などの超高層ビルが立ち並び、台北マンハッタンの異名を持つ台北市の信義エリア。「子どものころ、僕の住んでいる4階建てのアパートが一番高い建物だったんですが、今じゃ一番低い建物になっちゃいましたよ」という杜青春は、50年前には田畑が広がるのどかな町だったというその信義エリアと目と鼻の先で生まれ育った。祖父や両親の口から日本のことをいろいろ耳にし、日本語の基礎は両親から学んだ。

小学校、中学校は勉強の毎日で、高校は名門の建國高級中學に入学。これといった趣味もなく、毎日勉学に励んでいた杜青春にとって、自転車通学がちょっとした息抜きになっていたようだ。「台北の街並みも随分と変わりましたよ」

そして高校を卒業するころに転機が訪れる。父親が日本に転勤することになったのだ。「父に『ちょっと生活環境を変えてみないか?』と言われて、一緒に日本に行くことにしたんです。最初は右も左もわかりませんでした」まずは語学学校で本格的に日本語を学び、そして見事、早稲田大学の商学部に合格。杜青春はそれまで耳にするだけだった「日本」を実際に肌で感じるようになる。大学卒業後は同大学の大学院商学研究科に進み、修士号を取得。日本で約10年の月日を過ごした。

がり症で入った日本語サークル

台湾に帰国した杜青春は経済部(経済産業省に相当)の招聘研究員として経済のレポートを作成する日々を送るが、しばらくして知人の紹介で日系の銀行に転職することになる。銀行ではエコノミストとしてのレポートの作成だけでなく、行員や顧客にプレゼンもしなくてはならず、しかも顧客は日系企業が多いため、日本語も使いこなせなければならない。「10年間日本にいたから日本語は大丈夫という自負はあったんですが、僕って上がり症で、日本語で経済についてスピーチするという場面ではてんでダメでしたね」

なんとか自分の上がり症を克服したい、もっとうまく日本語を話せるようになりたい、何かいい手はないかと模索している時に杜青春が見つけたのが、話し方や大勢の前で話すことなどの上達を目的としたスピーチサークル「太平洋国際日本語演説会」だ。早速、例会に顔を出し入会することにする。「日本語族の先輩方に日本語を鍛え直されましたよ。怪しい敬語とかも直してもらったり。人前での話し方なんかも学んだし、上がり症もほぼ克服できました」同時期に同様の目的で「関西詩吟文化協会台北支部」にも入会し、20年近く活動を続けている。

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日本語が仕事のためから趣味に

仕事のために始めた「日本語」のスピーチと詩吟だったが、ある出会いをきっかけに杜青春に再び転機が訪れる。仕事での疲れを癒やすため、台湾を代表する温泉の一つ「北投温泉」にある公衆温泉「瀧乃湯」で温泉に浸かった後、日本の文庫本を片手にくつろいでいたら、杜青春を日本人と勘違いして日本語族の男性が声をかけてきたのだ。「その時に台湾川柳会に来ないかと誘われたんです。ちょうどサラ川(サラリーマン川柳)に興味があったんで、句会に顔を出してみたんです。面白いなと思いました」これまで仕事一筋でこれといった趣味がなかったということもあり、早速、入会して川柳を作るようになったという。

当時の同会会長(故人)が体調不良を理由に引退したがっていたこともあり、会員の中で若さがひときわ目立った杜青春に白羽の矢が立ち、わずか入会1年で会員による投票で代表に選出された。「(前任の)会長が『日本在住の会員で一度も会ったことがない人もいる。会いに行きたい』とおっしゃっていたのがずっと気になっていたんです」北は北海道から南は沖縄までいる同会日本在住会員の全員に会うべく、年に数度時間を作ってポケットマネーで日本に「通っている」杜青春。日本各地の川柳会とも交流を深め、2014年春には日本で『近くて近い台湾と日本-日台交流川柳句集』(新葉館出版)が出版された。

 

台湾川柳会での活動を通じてほかの句会や歌会にも知り合いができ、杜青春は今「台北俳句会」「台湾歌壇」「コスモス短歌会」「春燈俳句台北句会」などにも顔を出し、うち幾つかの結社では会報作成のサポートなどもしている。「なんだか趣味が多くなりすぎてしまって、プライベートな時間のほとんどを趣味に費やしています。こんなすてきな趣味ができたことを大切に思っています」かつて「仕事」のために関わっていた「日本語」が、いつの間にか「趣味」へと変わっていたのである。

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若手として日本語族からの期待も高い杜青春。「若手といっても僕はもう50代です。もっと若い台湾人に川柳や俳句、短歌の醍醐味を知ってもらいたいんです。まずは台湾川柳会の平均年齢をグンと下げたいですね」と鼻息が荒い。これからも台湾の日本語族を支える若手の一人として、ますます活躍していくことだろう。

(2017年4月号掲載)

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