●デジタルアーカイブで見る台湾バナナ

国家発展委員会(省庁)档案(公文書)管理局では、局内に所蔵されている資料を基にしたデジタルアーカイブを毎月発行して、台湾の歴史にまつわるさまざまな出来事を紹介している。今月のテーマは台湾バナナの歴史。歴史に翻弄(ほんろう)される台湾バナナの光と影が、当時の貴重な文献とともによみがえる。

▽日本統治時代

1930年代の日本統治時代には台湾バナナはコメ、砂糖とともに日本向けの三大輸出品とされていた。

▽さまよえる台湾バナナ

終戦後の45年、両岸(台湾と中国大陸)の交通が正常化したことを受けて中国大陸への輸出が始まり、46~49年には輸出量の9割以上を占めるほどになった。この時期、日本との貿易は中断されていたものの、進駐米軍向け輸出は例外的に対日貿易の範ちゅう外と見なされ、わずかな量の取引があったという。

▽バナナ王国時代

49年、国共内戦の影響で中国大陸の情勢が不安定になったことを受けて、台湾バナナは再び日本に輸出されるようになる。政府や民間は、品質向上のための保存・輸送方法改善に積極的に取り組み始め、50年代にはバナナ王国と呼ばれる最盛期を迎える。現在日本でのシェア1位を誇るフィリピンが、当時政府職員を派遣して台湾のバナナ農家の指導を要請したこともあった。

▽現代

バナナ王国と呼ばれた時期には年間に約40万トンを日本に輸出し、約8割以上のシェアを占めたという台湾バナナ。業者間の過当競争や日本の貿易自由化などもろもろの理由でいつしか競争力を失ってしまった。資料では、2014年の日本向け輸出量は4000トン未満で、日本市場でのシェアは1%にとどまっている。行政院(内閣)農業委員会によると、今年のバナナの生産量は例年より約4万トン多い35万トン。豊作による値崩れも懸念されている。(中央社フォーカス台湾)

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